月刊ぬー編集部に届けられた、あるレポートより
そこに確かにあったはずなのに、見当たらなかったり。
影も形もない場所に突然現れたりする、奇妙な占術の店があるという。
2019年某月某日、ある信頼できる情報提供元から、件の占術屋が現れる場所を聞いた木洩日砂生(コモレビ・サソウ――僕が月刊ぬーで使用しているペンネームだ)は、朝から特急ユニハクモ44号に乗り、一路そこへ向かった。
――その占術屋しか取り扱っていない希少な骨董玩具、『童子像』という人形がどうしても欲しかったのだ。
その奇妙な店の名は、”徐福亭”。
徐福とは古代中国における伝説の方士だ。
皇帝に不死の薬を捧げるという名目で秦から旅立ち、以後、様々な土地に姿を現すが、結局誰も正確な足跡を掴むことができなかったらしい。
徐福亭は、その逸話にあやかるかのように消えたり現れたりする神出鬼没の店なのだと、まことしやかに巷では語られている……。
曇天の下、湿り気を帯びた風が頬を撫でていく。到着した先は、華美な装飾に彩られた異国的都市――何か古い夢の中の世界にでも迷い込んだようだ。
微かな肌寒さを振り払うように、木洩日は歩を進める。
町のあちこちから聞こえてくる外国語には、奇妙な音楽的響きが宿っていた。音と音の間に、一般的な言語とは異質な周波数の音が仕込まれている気がする。
それに気を取られていると、いつしか頭が朦朧としてきて――
「失礼。あなたはコモレビ・サソウさんではありませんか?」
――変性意識状態。
突然、黒い怪犬が話しかけてきた。
夢遊病的にぼんやりと町を散策していた木洩日は驚愕するが、それは時に良い方向へ働く。人は過度に異常な事態に遭遇すると感情が麻痺し、それによって普段より円滑なコミュニケーションが可能になるのだ。
「ええ、そうですが……あなたはどうして僕の名前を?」
「私はコンビーフが好きです。とくに亜硝酸Naが豊富に含まれたものに目がありません……。は? とあなたは言う」
「は?」
「――その通り。私はあなたが来ることを前から存じていました。犬は過去も未来も知っていますが、人間の言葉を喋ることができない。しかしながら二億匹に一匹、人間語を発話できる犬が生まれるのです。よろしければ私が町を案内して差し上げましょう」
「……」
「私の名はフェイス。人はその言葉に信頼という意味を当てはめます。あなたにとって信頼に足る犬だという無根拠な確信があり、それが有効であることを自分自身で信頼しています」
いかにも怪しい犬の、いかにも怪しすぎる申し出だった。
ふと木洩日の脳裏に、ある有名な惹句がよぎる。
――『嘘を嘘だと見抜いた上で、わざと嘘に乗って遊べる人でないと世の中を楽しむのは難しいけれど、そもそも嘘の定義とは何か?』
ふと思う。
現代において、宇宙に中心がないことは誰もが知っている――
が、古代世界で地動説や天動説を唱えた者が全員嘘吐きかと言われたら、それは違うだろう。つまり嘘も真実も、状況や立ち位置……もしかすると気分でも変化するため、その区別自体にあまり意味はない。
そう考えた場合、注目するべき点は、発言者に悪意があるかないか。
そして最も重要なのは、その内容が興味深くて面白そうか、その逆かだろう。
だったら自分がしたいようにすればよいのでは?
そんな短絡的な熟慮の末、木洩日は黒い怪犬・フェイスに先導されて歩き始める。
――今にして思えば、それが全ての始まりと終わりだった。
やがてフェイスは豪奢な建造物の前で立ち止まり、こう告げる。
「ここは高名な武将神を祀った霊廟で、参拝する前に以下の手順を踏む必要があります!」
本殿回廊に据えられた三つの香炉に、一本ずつ線香を差していく。
ただし香炉の表面には漢字が刻まれていて、それに対応した二文字のひらがなを灰の中に書かなければ線香を立てられない。答えが間違っていた場合、線香は必ず倒れてしまう……。
三本の線香が無事に立つと、霊廟内に赴いて参拝することができ、大きな加護を受けられるという。
香炉1と香炉2の灰の中にはフェイスがひらがなを書き、線香を立たせてくれた。
●香炉1『朝』=あさ
●香炉2『海』=いむ
●香炉3『裏』=
「香炉3にはあなたが線香を立ててください。何とお書きになりますか?」
それらは本質的に本筋とは無関係な脇道である――が、参拝を無事に済ませて霊廟を出ると、心なしか気分もいい。
だったら脇道の方が本筋より大切なのではないか?
そんな妄言を心の中で弄びつつ、木洩日とフェイスは再び並んで歩き始める。
やがて異国の町並みは途切れ、小さな噴水に突き当たった。
立ち止まって水面の模様を眺めていると、フェイスがこちらに顔を向けて言う。
「ところでコモレビ・サソウさん。あなたはどうしてこの町に? 差し支えなければ教えてくれませんか?」
犬は何でも知っているんじゃなかったのかと思いつつも、もうその辺のことは別にどうでもよくなっていたので木洩日は率直に答える。
「徐福亭という占術屋が出る噂を聞いたんです。その店で売られている童子像という人形が欲しくて――」
童子像とは、童子ゆかりの像ではあるが、童子を象ったものではない。
もちろん人型の場合もあるが、鳥や獣や魚の姿だったり、時には異様な魑魅魍魎の形だったりもする。統一性はほぼないと言っていい。
童子像とは、単に徐福亭の店主兼占術師――秦童子が制作した人形という意味なのだ。秦童子はハタ・ワカコと読むらしいが、これはきっと雅号のようなものだろう。
フェイスが訝しげな様子で言う。
「童子像ですか?」
「ええ。昔から、どうしても欲しくてたまらないんです。理由は自分でもよくわからないのですが……」
――それは今では、ある種の強迫観念に近いものだ。
初めて見たのはオカルト雑誌の巻末ページの写真で、どれも素晴らしい出来。その数々の妙なる造形美を目にした瞬間、魂を貫かれたように虜になった。
手に入れたくても手に入らないものは、頭の中で実像から離れた偶像と化し、時間経過で大きく重く過剰に育つ。その偶像が、母を求める子のように原形を追い求めるのだろうか?
喉の奥からもう一人の自分が顔を出すくらい、それが欲しい――。
一種の懐古心であり、未知への期待感であり、純粋な物的欲求でもある感情のキマイラだった。
その時、フェイスが唐突に言う。
「私です」
「え?」
「私が――その童子像です」
「……」
ちょっとなにを言っているのかわかりゃーせん、と木洩日が言いかけた時、フェイスが突然ころりと地面に寝転がって腹部を見せる。
――そこには小さな円形の印があった。
木洩日は息を呑む。
円の内部は均等に十二分割され、1から12までの数が割り振られていた。
中心には小さな矢印があり、それは「12」を指し示している。
1から11までの数字は赤色で、12は紫色……。だが今にも赤色に染まってしまいそうだ。
「フェイス。君が……童子像だったなんて――」
オカルト雑誌の写真で何度も見たから、木洩日は知っていた。童子像には、体のどこかに必ずこのホロスコープ(天球配置図)型の不思議な印が刻まれていることを。
雑誌の写真では、ホロスコープに割り振られた数字はどれも赤色だったが――。
フェイスは寝転がったまま、驚くべきことを語り始める。
「秦童子(ハタ・ワカコ)の作る像……その正体は生きる人形です。作り上げた瞬間、人形は生命を帯び、今まで普通に生きてきたという長年の偽りの記憶が与えられます。途中で自分が生きる人形だったことに気づく個体もいますし、最後まで気づかない個体もいますが、共通するのは12年しか生きられないこと」
一年ごとに青色の数字が赤色に変わっていくのだとフェイスは語った。
「そして私は今が12年目の最終期に当たる。命が尽きると私の体は完全な彫像に変わります。あなたが雑誌の写真で見たという童子像は、どれも我々のなれの果てなのです。そう……もうすぐ私も――」
噴水の前で、フェイスは坦々とそう語り聞かせてくれたのだった。
長い沈黙の後、木洩日は静かに喉を鳴らして尋ねる。
「秦童子とは――何者なんです? 占いの……占術師とは違うんですか?」
「占術ではありません。読み方こそ同じですが、正しくは”仙術”」
仙術――それは仙人の使う魔法のようなものだという。
呆然とする木洩日に、フェイスは淋しげに微笑んで続けた。
「知っていますか、古代中国の徐福伝説を。――秦を出航した徐福は、不死の薬を探して各地を彷徨った。そして長い長い年月の末に、自ら仙人になろうとしたのです。不死の薬など、今この世界には存在しない。だったら仙人になって、自分が作るしかないと考えたのでしょう。やがて限りなく仙人に近い存在となった徐福は、日本に上陸。諸説ありますが、三重県の熊野市に漂着したと伝えられています。その頃には彼はもはや皇帝への興味を失い、二度と秦には戻ろうとしなかった――」
秦童子は、その三重県熊野市の波田須出身で、仙人の血を引いているのだという。
わずかに継承された仙人の力で、気まぐれに人形を作っては自分の店で売っているのだそうだ。ちょっと信じられないような事実だった。
フェイスはもともと、ペット禁止のマンションで犬の代わりに飼いたいと要望した家族に買われたが、どう見ても犬じゃないかという苦情が近所から相次いでために捨てられ、以後は悠々自適にこの町でのんびり暮らしてきたらしい。
様々なことを知っているのは生まれつき。そういう風に作られたからだろう、と話を結んだ。
「……さて。残念ですが、コモレビ・サソウさん。そろそろ私は行かなくてはなりません」
「え?」
「このホロスコープの数字が全て赤色に変わった時が、12年のタイムリミットですから――」
最後にフェイスはいくつかのことを木洩日に教えると、写真の被写体のように固まって動かなくなる。
仙術によって吹き込まれた偽りの命の期限――12年の時が尽きたのだ。
以後、完全な人形と化したフェイスが口をきくことは二度となかった。
ちょっと信じられないような事実が、信じるしかない真実に変貌した。
木洩日はフェイスの彫像を胸に抱えて、町を後にする――。
やがて小高い丘の上に木洩日は辿り着く。
そこはつい先程、フェイスに教えてもらった場所だった。
――あと三十分もすれば、ここに秦童子がやってきて、神出鬼没の店・徐福亭の営業を始めるのだという。
なんのことはない。徐福亭はいわゆる露天商。路上で不定期に少量の物品を売買する、フリーマーケットのような形態の店だったらしい。消えたり現れたりするとはそういう意味だったのだ。
「もうすぐ……会えるのか」
木洩日は胸に手を当てて、自らの思いを省みる。
徐福亭で売られている像がどうしても欲しいという、ある種の強迫観念。それは一種の懐古心であり、未知への期待感であり――
煎じ詰めれば、制作者の秦童子に会ってみたいという欲求ではなかっただろうか?
理屈を超えた確信がある。おそらく、彼女は――。
もうすぐ所定の時刻になる。高揚感で、背中に淡い熱が走るのを感じた。
幼い頃からずっとそうだ。何か重大な出来事の前には、必ずこんな感覚になる。
木洩日はシャツに右手を入れて背中に触れるが、肌の感触は普段と何も変わらない。
だが、少し離れた場所でその光景を見ていた通行人は、目を丸くした。
――シャツがめくれて見えた木洩日の背中には、小さな円形の印があった。
円は十二分割され、1から12までの数が割り振られている。
1から11までの数字は赤色。
12は紫色だが、色も今にも赤く染まりきってしまいそうで……。
――やがて秦童子がその場に姿を現す直前、ふいに全てが眩しい光を帯びる。
突然のことに木洩日は驚く。
なんだこれは。
この世界には、こんな光があったのか。
これほど美しいものが、どこに存在していたのだ?
瞼を開けていられないくらい、それはあまりにも美しく光り輝き、
木洩日の意識はその煌めくような無上の幸福感に包み込まれ、そして――。
~END~
こんにちは、似鳥航一です。
写真にちょっとしたコメントを付けようとしたら、思いのほか長く……。最後まで読んでくれた方はいるのでしょうか。
上では色々と妄想を綴ってますが、普通の横浜の中華街です。
以下はクイズの答え。
・香炉1『朝』=あさ(ASAを逆から読んで「あさ」)
・香炉2『海』=いむ(UMIを逆から読んで「いむ」)
・香炉3『裏』=ある(URAを逆から読んで「ある」)
ありがとうございました。 ――似鳥航一
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