いかがでしたかはいかがでしたか?
こんにちは、似鳥航一です。
知人に指摘され、そう言えばブログ放置してたな、と思って見てみたら、3月から更新していなかった。作家名義ではない垢では時々呟いていたんですけどね。
もちろん無事に生きてますので御心配なく。若干ばたばたしていただけ――といっても、まだ微妙に続きそうな気配ですが。
自分の中では5月のGWに一度更新したつもりだったのですが、完全に妄想で、脳内で記事を書いて達成感を得てそれっきり。
じつは人間が日常行うことの多くはこれ……つまり大きな意味での想像・妄想・シミュレーションに分類されるわけで、そういう意味だと普通のことだとは思うのですが、妄想と現実の区別がつかない人は概して危険なので気をつけましょう。
ただ、こうしてキーを行き当たりばったりに連打していて思うのは――目的と意味のない文章はやはり書くのが楽しいということ。どこに向かっているのか自分でもわからない、一種のオープンワールドアクションゲーム的な面白さ。
楽しいは空虚にして上善。上善は有意義な無意味の如し。
機能主義や拝金主義を否定する気はないのですが、そんな風に思うことが最近増えてます。どういうことか?
身近なところで言うと――
例えば、好きなことで生きていくというのは昔(カンブリア紀くらい)からよく聞く言葉。生物として正しい心構えです。
プロゲーマーとして生きていく、動画配信で生きていく、サイト運営で生きていく、ブログで生きていく……。
いずれも古い世代には理解を得られにくいが、今後さらに共鳴する人が増えるのは間違いないモデルケース。実際僕もゲームの実況動画をよく見て楽しんでいる。おかげでここ数年は自分でプレイする機会が減って困ってる……なんて妄言はさておき、ブログの記事なので、そちらに話題を移しますね。
現在ブログで食べていこうと頑張っている方の多くは、先行者の制作物を手本にしている。
つまりCMS(大抵WordPress)を使い、webクローラが拾いやすいワードを文中に巧みに入れ込み(適当な入れ方ではgoogleの判定ではじかれる)、機能的なお役立ちサイトの量産を心がけていると思うのですが――基本的には正しい方針だと思う――それが唯一絶対の正答か?
時には思うがままに駄文を書いて自由にストレス解消して遊んでみると、逆に人間味を感じて見に来る人が増えたりするんじゃないのかなー、みたいに時折感じるのです。
飲食店に例えると、店の立地条件に一喜一憂するより、ある種のコミュニケーション戦略で常連客を増やす的な視点? まあ特に店を開業したことはないんですけど……。
当初は好きなことを純粋に楽しむスタンスだった。でも、いつのまにか集客のルールに絡めとられて行動が半義務化している気がする。自分は本当に今を楽しんでいるのか?
――と、そんな風に感じた時は、好きなことを適当に書き散らかし、自分の現在の楽しさの感性を再確認してみるのもいいかもしれません。
それが結果的に良い成果に繋がるかもしれない。
人が人から物を買う時に最も重視するのは商品のコスパ――というよりサイトの信用性で、それは管理者の人間味から自然と滲み出るもの。そして人間味は機能的でもなく役にも立たない、いわゆる無用の長物から遊び心として感じられることが多い気がするので。
総括すると、意味は意味だけでは現実の意味たり得ず、無意味が意味に人間性の彩りを与えることで実体的に働く場合が多い。心を動かすのは本質の余録の楽しさと面白み。
だからこそ、目的と機能を持たない駄文も時にはいいね、とそんなお話でした。(滅茶苦茶強引にまとめた)
最後に余談を少し。
たまに「ブログで食べていくのは何かに踊らされているだけで現実的には無理だよ」みたいに言う方を見かけるし、身近にもいます。
もちろんそれは一つの見解ではあると思うのですが、知人にサイト運営のアフィリエイト収入で家を建てた人がいるので、一概にそうは言えないよ、と思っています。
何かを無理だと言いたければ、まずは自分で実行して失敗し、その後改めて「こういう手法で試してみたが無理だった」とコメントしてほしいかな、と。
それはひとつの貴重な生データで、数値だけでは表現できない、実のある情報が詰まっている。そこから得た知見を注いだ実験を繰り返す事で物事は前に進む――つまり失敗で得られるものとは本当の意味での発言権。
だからこそ失敗者には敬意を払うべきなのです。人が軽んじがちな対象こそが実は本当の意味での偉人なのですよ。
その他、ネットで食べていくということに関して言うと、ユーチューバー、プロゲーマー(eスポーツ選手)などはやっぱり新時代を象徴する存在だと思っている。
まあ今更ではありますが……すぐに消える職業だといまだに思っている方も時々いるので。見かけたら「逆ですよ」と耳元で妖艶にささやいてあげてください。笑
今やgoogleで文字が検索される数(380万件/1分)より、ユーチューブで動画が再生される数の方がずっと多い(450万回再生/1分)のですから。
人は視覚重視の生物で、記号より映像を好む人が多いので、この傾向は好むと好まざるとにかかわらず今後さらに促進されるでしょう。自然選択は人間においてはテクノロジーとメディアの変化という形で働きかける。
もっと個人が動画を発信し、顔を出して肉声で「独り言」を言う世の中に変わっていけば、未体験の新しい日常が訪れるはず。
TikTokとか多少そんな萌芽を感じますが……。
普及はやっぱりどういう収益システムを構築するかによるのでしょうか。(なんでもそう言っておけばそれっぽい感が漂う)
何はともあれ、既存の価値観を踏襲した懐かしい未来より、常に変化する理解不能の享楽的世界になってほしいですね。
もちろん僕はお話好きでもあるので、この先も小説書きますけど……(もともとお祖父ちゃんお祖母ちゃん子だから古式ゆかしいメディアに理屈を越えた愛情を抱いている。偏愛といってもいい)
新しい分野の開拓に挑戦中の方のことは、心から応援しています。
0コメント