寺の狐と神社の狐

こんにちは、似鳥航一です。

気づけば七月も半ばに近づき、理想とする時間の流れと現実時間のギャップを埋められずに焦っている人も多いのでは――と我が事を他人事のように綴りつつ。


とはいえ、梅雨が明けたら愉悦の夏はたぶん目前。

え、休日出勤? 働き方改革と書かれた旗を振り回し、断固無視してください。無視していいのです、たぶん。

僕自身、去年は電車で片道5時間かかる秘匿された楽園に遊びに行き、知人のガイドでカッパ淵や御蚕神堂などを見てきた。今年もどこかに出かけたいと妄想半分、思いを巡らせているところです。(焦点の定まらない目で)


思いつくがまま、衝動任せの旅も悪くはないんですけどね。実際にやってみると意外とすぐに内容を忘れてしまうことが多い印象。なんであれ、行動前に思い入れを意図的に作っておいた方が記憶に残りやすい気がします。

目にした景色から何を受け取れるかは今そこにいる人の主観に依る。

そういう意味だと、日本史と地理は旅体験を美味しく味つけする非物質の脳内調味料――あるいは現実を奥深くするバックストーリーと設定集であり、その土地のありふれた眺めを浪漫溢れる情景に見せる便利フィルタみたいなものでしょうか。


なんて考えが少しでもあれば学生時代、歴史と地理を真面目に勉強したんですが……後悔先に立たず。

しかし、あちらを立てればこちらが立たず。

将来欲しくなるものをその時点で予測することなんてできず。悪しからず。


妄言はこの辺にして、今年の春くらいに撮った写真です。(クラウドに上げっぱなしだった)

はじめまして。

ここは東京赤坂にある、数多の狐が鎮座まします寺院。

日本三大稲荷のひとつ、豊川稲荷です。

正確には豊川稲荷東京別院といって、愛知県豊川市の妙厳寺(曹洞宗)の飛び地境内。


三大稲荷というのは、京都の伏見稲荷大社、茨城県の笠間稲荷神社、愛知県の豊川稲荷の三つなのだそうですが、ユニークなのは豊川稲荷は神社ではなく寺院だという点。

お稲荷様には何となく神社のイメージがあると思います。ただ、ここは少し事情が異なる。祀られているのは神道の稲荷神ではなく、仏教の神様なのです。さて何だろうか?


答えはあえて書かないでおきますね。駅から近いですし、思い立ったら素早く寄ってみるのも一興かと(20:00まで)。

御朱印ももらえますし、境内の横には巷で噂の稲荷寿司の店もありますし、興味深いですよ。

境内に足を踏み入れると、東京の都市風景から一転、ふっと別世界に転移したような独特の雰囲気。神社とはまた違う種類の趣と落ち着きがあります。

狛犬ならぬ狛狐が左右を固める本殿は、威厳があって渋い。

境内には様々な神仏が祀られ、信仰の流れ――本尊たる存在が何と習合し、何と同一視され、どう解釈されていったのか等を推しはかることができる。そういう意味でも面白い場所なのです。七福神や弁財天も祀られています。

手水舎で手を浄めて参拝の準備を。

神社の場合は二礼二拍一礼ですが、お寺だから合掌して一礼。

中国の道教の神様などの場合はまた作法が違うのですが、それは別の機会に。横浜の中華街などに廟堂があります。

いうなれば阿吽の「吽」。

……こちらも阿吽の「吽」でした。


余談ですが、京都の伏見稲荷の狛狐は、「吽」状態ではなく、「稲」や「玉」や「鍵」をくわえていたりします。

稲は穀物などの実りや豊穣の象徴で、玉と鍵は伏見稲荷の玉鍵信仰を表す。

また、玉(タマ)は魂(タマシイ)の象徴であるとか、鍵は富を収納する倉庫を守るものだという説も。

お地蔵様のように赤い前掛けをした狐があなたを見据える。

ある意味、赤いきつね? 少し筋肉質で迫力があり、格好いい。

そんな豊川稲荷の狐写真集でした。


以下は豊川稲荷とは関係ない、ちょっとした雑談。


稲荷神社の総本宮といえば、なんといっても京都の伏見稲荷大社でしょう。

千本鳥居などで有名な観光スポットでもありますし、京都駅から電車ですぐに行けます。


僕自身、以前は京都にいたので(伏見稲荷駅の隣の鳥羽街道駅に某ゲーム会社の旧社屋があり、今はセカンドパーティやデバッグの会社が入ってる。本社からシャトルバスも運行)、軽い気持ちで伏見稲荷にふらっと寄って山頂まで登ろうとしたら予想以上に距離があり、ちょっと疲れた経験がある。

今でこそ本殿が入口近くの平地にあって参拝に便利ですが、もともとは神体山ですからね。(神道の神はもともと姿形がなく、木や石や山などに憑依する。神体山は神が宿る山)

昔はその山頂に社があったそうなのですよ。

清少納言さんも参拝した時のことを「枕草子」に書いていて――『稲荷に思ひおこしてまうでたるに、中の御社のほどのわりなうくるしきを、念じのぼるに』――かなり過酷な山登りだったそうです。


以下は伏見稲荷大社の公式サイトからの現代語訳の引用です。


『2月午の日の暁に、稲荷の社に詣で、中ノ社のあたりにさしかかるともう苦しくて、なんとか上ノ社までお参りしたいものだと念じながら登っていくと、もはや巳の時(午前10時頃)ばかりになり、暑くさえ感じられるようになってきて、涙をこぼしたいほどわびしい思いをしつつ休息していると、40余りになる普段着の婦人が、“私は今日7度参りをするつもりです。もう3回巡りましたからあと4回くらいは何でもありませんよ”と、往き会った知人らしい人に告げてさっさと行くのをながめては、誠にうらやましく思ったものである』


――上記、わりと有名なエピソードらしく、様々な媒体で引用されているのを見かけます。

個人的には『40余りになる普段着の婦人』……何者だ? と思いますね。今日7度参りをするつもりって。

阿古町だったのかもしれない。

何はともあれ、山頂の一ノ峯まで行く場合はスニーカーなりスポーツウェアなり、登山に適した格好で挑戦してみてください。

伏見稲荷大社スマホサイト

日本人にとって、もっとも身近な神社といえるのが「お稲荷さん」とも称される稲荷神社。全国に3万社あるともいわれ、日本全土で老若男女を問わず、親しまれています。その総本宮が京都の伏見稲荷大社です。西暦711年の御鎮座以来、1300年にわたり人々の信仰を集め、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、諸願成就の神様として崇められてきました。近年では日本人のみならず、外国人の参拝者・観光客が数多く訪れるようになり、京都、そして日本を代表する名所として世界にその名を知られるようになっています。これからも伏見稲荷大社は人々が幸せを求める「庶民の信仰の社」であり、「神様と自然と人とが共生する社叢・稲荷山」であるということを大切にし、次の世代へと護り伝えていく使命が我々にはあります。伏見稲荷大社の御祭神である稲荷大神様が稲荷山に御鎮座されたのは、奈良時代の711年二月初午の日のこと。その日から数えて、去る2011年には御鎮座1300年を迎えました。重要文化財に指定されている本殿には、下社・中社・上社ならびに摂社である田中社・四大神の五社が一宇相殿に奉祀されています。これら五柱の御祭神名は、稲荷大神様の広大なる御神徳の神名化されたものです。伏見稲荷大社では四季を通じて、古式に則った祭礼、神事を執り行っています。 古都・京都を代表する風物詩となっているものもあり、祭事の日には、境内が参拝者で大いに賑わいます。日本の神社で一番数が多いのが「お稲荷さん」ともいわれていますが、意外と日本人にも知られていないことがたくさんあります。よくあるご質問に答えるかたちで「お稲荷さん」の信仰の姿を紹介します。伏見稲荷大社の境内は、稲荷山全体が神域として崇められ、山中に点在する祠や神蹟、お塚、鳥居等から成っています。稲荷山は東山三十六峰の南端に位置する霊山(233m)で、稲荷信仰は稲荷山を神奈備とする一種のお山の信仰に始まります。当ページに掲載されている情報・画像を、無断で転用・複製する事を禁じます。〒612-0882 京都市伏見区深草薮之内町68番地 TEL(075)641-7331 FAX(075)642-2153Copyright © Fushimi Inari Taisha, All Rights Reserved.

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もう少し雑談。


伏見稲荷大社には数多くの狐の像が設置されている。だったら主祭神の稲荷大神の姿は狐なのだろう――と考える人は結構多いのでは?

ゲームなどでは、おおむね稲荷=狐みたいな方向でビジュアル化されていますし。(分かりやすいから妥当な判断だとは思うけど)


ただ、実際のところ狐はあくまでも神のお使い(神使)で、神使の狐も本来は不可視の存在。伏見稲荷公式サイトの質問コーナーにもその旨が書かれているので、バレッタのように頭に留めておいてもいいかも。

対象について一通り知ることは、やはり敬意と尊重に通ずる姿勢だと思うのです。もちろん、知った上でどんな行動をするかはその人次第。


さておき、稲荷大神は狐ではない――では実際は何なのか?

結論から言うと、現代においては五柱の神々の総称ということになっています。


  • 宇迦之御魂大神(ウカノミタマ)
  • 佐田彦大神 (サタヒコ……サルタヒコの別名)
  • 大宮能売大神(オオミヤノメ)
  • 田中大神(タナカノオオカミ)
  • 四大神(シノオオカミ)


ウカノミタマは色んなゲームに登場しているから、名前をご存知の方も多いのでは。稲荷の神の代表格的な扱いをされることも多い気がします。

「ウカ」には「ウケ」という語形もあり、それらは古語で食物を意味するそうで、つまりは豊かな食料をもたらす食物神・豊穣神なのですね。


ただ、神様とは信仰によって、多かれ少なかれ在り方が変わるもの。信じる者が多いほど力を持ち、格も上がり、逆もまたしかり。

稲荷の神も昔は五柱ではなく、三柱の神々だったそうです。少なくとも文献上では、平安時代初期はウカノミタマ、サタヒコ、オオミヤノメの三神として祀られていたらしい。


では、それより前に遡るとどうなるか?

三柱の神々である前は一神でした。(cf.『山城国風土記』)

起源は奈良時代だそうです。

渡来人の豪族・秦(はたの)氏の伊呂具――伊呂具秦公(いろぐはたのきみ)が富を得たことを驕り、餅を的にして弓矢で射た。すると餅は急に白鳥に変わって飛び去り、稲荷山の山頂に舞い降りて、そこから稲が生えたというのです。


つまり稲が生えたから「稲生り(いなり)」だというふうに、なるほど感のある由来を構築したわけで、ここは素直に秦氏のお話作りの才覚に感心したいところ。

富から生じた白い餅が、白い鳥に転じ、特定の地点へ舞い降りて富の元となる。

機能的であり、神話的でもあり……。

何かと有名な秦氏ですが、秦の始皇帝の血筋と称するだけあって弁も立つのだろうなと個人的には思っています。


さて、やや長くなりましたが、元の疑問に戻りまして。

稲荷大神は狐ではない――では何なのか?


これまでの話を踏まえると、原形は「山頂に生えた稲」ということになります。

でも、その答えで本当にいいのか。もっと前に遡れるのでは?


「山頂に生えた稲」より前に遡ると、「白鳥」になります。

そして「白鳥」よりさらに前に遡ると、「餅」になります。


だったら答えは餅……?

待て。物理的に考えるともっと前に遡れるのでは?


「餅」より前に遡ると、「餅米」。

「餅米」より前に遡ると、「稲」。

「稲」より前に遡ると、「白鳥」。

「白鳥」より前に遡ると、「餅」。

「餅」より前に遡ると、「餅米」。

「餅米」より前に遡ると――。


無限ループ。

四季が美しく巡りゆくように、趣のある言葉です。

……なんてことをプログラマのお友達に言うと面白い反応が見られるかも。


ただ、よく考えると、こういった起源を考える行為自体があまり適切なことではないのかもしれない。

神様は神様だから神様。その論法を美しいと感じるなら、言挙げせずの精神で行くのもよいかと。

にとりの愉快な小部屋  -似鳥航一ブログ-

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