新年のご挨拶

ご挨拶が少し遅くなりましたが、新しい年がやって参りました、似鳥航一です。

今年はいのしし年ですね。

いののし年の亥の字は、じつは動物の猪とは関係なく、植物の生命力が種子の中に閉じ込められている状態を指すようです。

亥だけではなく、もともと十二支のすべてが各季節における植物の状態を表すとのこと。といっても起源は古代中国の暦法なので、解釈には諸説あったりもするのですけれどね。

何はともあれ、この2019年が皆様がかねてより胸に抱いている望みを、種から瑞々しく芽吹かせることができる年になるのを心よりお祈り申し上げます。



●名状しがたい縞模様の茶色い瓜のようなものを見られるリンク

https://www.google.com/search?biw=1745&bih=852&tbm=isch&sa=1&ei=uJR2XP61DIPVmAXG0JnQAg&q=%E3%81%86%E3%82%8A%E3%81%BC%E3%81%86&oq=%E3%81%86%E3%82%8A%E3%81%BC%E3%81%86&gs_l=img.3..0i4j0j0i4l4j0j0i4l3.5638.6266..6655...0.0..0.113.590.4j2......0....1..gws-wiz-img.5ICpZIvOOZc#imgrc=_

名状してるやん……とは言わないのがお約束。


さて話は変わりまして、ここからは特に誰にも求められていない近況報告でも。

新年の挨拶だけで終わっても物足りないですからね。


最近、TVアニメの「どろろ」にはまっています。


僕はそれほど映画好きというわけでもないのですが、なんとなく国内の色んな動画配信サービスに加入していまして、そうなると逆にいつでも数多くの作品が観られるという安心感からか、あるいは観る前から生じる飽食感からか、大抵いつも別なことに時間を使ってしまうのです。

しかしながら、どろろはOPテーマがとても格好よく……(女王蜂です!)

バンドのオフィシャルMVもいい感じで――

……という風に最初は音楽につられて観始めたのですが、視聴していると知らず知らずのうちに世界に引きこまれ、今では毎週楽しみにしている自分がいます。

面白いですよ。

絵はリアルながらも抑制されていて品があり、話はシンプルでバランス感覚があります。そして設定は色々と考えさせらせます。

というのも、主人公は百鬼丸とどろろという年の差二人組なのですが、前者の百鬼丸という人物がかなり攻めた設定なのです。とりあえず無難に置きに行くような姿勢は皆無。SNSで発表したら即座に「あなたのしていることで傷つく人もいるんですよ」系のリプライが飛んできそうな……(他意はありません)


あらすじをPrime Videoのページから引用してみますね。

時は戦国。 醍醐の国の主である景光は、ある寺のお堂で 十二体の鬼神像に領土の繁栄を願い出た。 それと引き換えに生まれた景光の世継ぎは身体のあちこちが欠けており、 忌み子としてそのまま川に流され、捨てられてしまう。時は流れ、鬼神は景光との約定を果たし、国には平安が訪れた。 そんなある日〝どろろ〟という幼い盗賊は、ある男に出会う。それは、鬼か人か──。両腕に刀を仕込む全身作り物の男〝百鬼丸〟は、その見えない瞳で襲い来る化け物を見据えていた。


……この百鬼丸が意図せず背負わされた状況は、この世の色んな対象に隠喩的に押し広めて考えることができるのかなと。

また、景光のように非道なことをする者は、往々にして(自分の狭いテリトリー内の)平和と繁栄と幸福が目的だったりするのも普遍の真理かと思います。

ともかく、目も鼻も皮膚もない赤ん坊が小舟に乗せられて捨てられ、その後、医師に拾われて何とかして生きたいと意思表示するシーンは涙なしでは見られません。これ本当。


その後、彼は人工の顔や手足を作ってもらい、いちおう人間的な姿になるのですが、一種のからくり人形みたいな……。大阪大学の石黒浩先生の作ったアンドロイドの方がまだ人間らしく見えるかもしれないという状態。感覚器を持たない百鬼丸は実際には現実の風景が見えていないし、音も聞こえていない設定なのです。相手が体に宿すオーラのような生命の炎を見て、それが本能的に「敵の色」だと感じたら攻撃し、そうでないなら成り行きに任せるというアルゴリズムが行動原理になっています。

それは果たして人間なのだろうか? あるいはアンドロイド(人造人間)の類なのだろうか?

自分がもしもアンドロイドなら……あるいは事故などでアンドロイド化することになったら世界はどう変容するのだろう? その場合、アンドロイドはいつか人間に成長できるのか? そもそもそれは成長なのか、ただの変化なのか? 人間と人造人間に本質的に重要な違いはあるのだろうか?

などなど、色んな種類の想像力を刺激してくれます。そこが面白いのですね。

あなたならどんなことを考えますか?


僕は決して手塚治虫先生の漫画を沢山読んでいる方ではないのですが、人造人間が大きな要素になっている作品がかなり多い……そういうイメージがあります。

例えば鉄腕アトムがいますし(未読)、PLUTOもそうなのでしょうし(これも未読)、ブラックジャックのピノコもそうでしょう(これは読んでます)。火の鳥にもそれに似た存在がいたような……(失念)。

手塚先生は医師でもあった方なので、人間と機械の中間領域みたいなところに強い興味があったのかもしれませんね。医療の分野では人工臓器の移植などは普通のことですし。

あるいは人間(x軸)と機械(y軸)というシンプルな二次元平面の世界ではなく、そこに宗教というz軸もある三次元的な広がりのある世界――生命について思考する場が非常に大きかったからこそ、「ブッダ」などの仏教漫画も描くことができたのかもしれません。


なんて書いていたら、ふと、このニュースを思い出してしまいました。

人間x機械x仏教。

機械仕掛けのカンノン・エクス・マキナ。

見たいかと問われたら正直、見たい……誰もがそう答えるのではないでしょうか? 僕も見たいです。というわけで、きっと研究費と制作費も大変集めやすかったのではないかと。


さておき、話が逸れてきたので本筋に戻します。

結論:どろろ面白いです。

にとりの愉快な小部屋  -似鳥航一ブログ-

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