入試問題&新刊の予定
こんにちは、似鳥航一です。
昨日アップし忘れていたことがあったので、今日もぱたぱた更新作業。年末の大掃除さながら、まめまめしい似鳥です。
いつもこれくらい頻繁に書けばいいのでしょうけど、社会生活を営む上で、人は得てして自分の行動に優先順位をつけないわけにはいかず……(僕は何を言っているんだ?)
もっとも、似鳥の中での最優先事項は大抵の場合「食べて寝る」なのですけれどね。
それはさておき、頂きものの写真です。
声の教育社さんが出されている、和洋国府台女子高校のスーパー過去問です。
なぜ唐突に問題集なのかと言いますと、似鳥が2016年に角川文庫で出した「懐かしい食堂あります 谷村さんちは大家族」が高校の入試問題に使用され、それが過去問として収録されているからなのでした。
● 和洋国府台女子高等学校 2019年度用 6年間スーパー過去問
試験問題をお見せすることはできませんが、小説自体は書店で普通に売っているものなので、その部分だけを少しだけちらりと……。
また、以下が入試の問題用紙です。
手に取ると、高校時代の焦りや緊張がよみがえるようです。
さて、僕も自分の小説が使われた問題を自分で解こうとしてみたのですが……結果から申しますと、国語の先生はすごいな、と率直に思わされました。
普通に難しかったです。解けたことは解けたんですけどね。
国語の先生はやはりプロというべきか、深い部分も正解もしっかり汲み取ってくださっているのですけれど(ありがとうございます)、たぶんそれだけでは試験にならず……。これは入試問題という一種のふるいなので、正解と思わず混同してしまうような、魅力的でそれらしい誤答も用意しないといけないわけです。
それが……かなり本物っぽいのですよね。
問題を解きながら、思わず「これ、こっちの解釈で書いた方がよかったかも?」なんて考えてしまいました。
ちょっとユーモアのある誤答も用意されていたりして、そういう意味でも楽しめます。
いやいや、あれにはじつは試験中の生徒の緊張をほぐす意図があって――なんて、それはさすがに考えすぎでしょうけれど。
何はともあれ、和洋国府台女子高校の皆様に、心からの感謝を。
ありがとうございました。
さて、ここからはとりとめもなく軽い雑談でも……。
入試から連想するのは、やはり高校時代のこと。そして、その頃の僕にはとても仲のよかった友人がいました。
彼のあだ名は「鬼ゲー」。
字面だけ見ると何それ状態ですが、鬼ゲーマーの略です。
鬼のように色んなゲームをやりこんでいる鬼ゲーマー、略して鬼ゲー。さらに略し、ここからは「O」と表記して話を続けます。
僕は子供の頃からゲームが好きで、将来ゲーム開発者になりたいと思っていました。
実際に大学を出たあと某ゲーム会社に入り、ミリオンセラーも何作か作り……といってもシリーズものだから、単に会社のIPの力なんですけどね。
ただ、それらのことは幸運な偶然が重なった結果であって、当時はひたすらゲームで遊んでばかり。むしろその行為を正当化する口実に、ゲーム会社に入るという目標を心に据えていたのかもしれません。とにかく毎日深夜まで色んなゲームをプレイしていました。
だから自分よりゲームに詳しい者はこの学校にいないと、非生産的かつ無意味な自信をつねづね抱いていたのですが……いるところにはいるのですね。
それが高校二年生のときに同じクラスになったOです。
人づてに「Oはやばいくらいのゲーム好き」的な話を聞いて、本当かなと思いつつ、最初は少しずつ無難な話題から探りを入れていったのですけど――。
一ヶ月も経つ頃には、いつもつるんで行動する仲になっていました。
恥ずかしながら、僕は今も当時もかなりの人見知り。友達作りにはいつも苦労するタイプなので、今にして思うと不思議です。なぜあんなにもすぐに打ち解けられたのか。
まあ、それだけ本気でゲームの話ができる相手に飢えていたのでしょう。性格も似ていましたし、とにかく趣味が合いすぎた。
毎日学校でゲームの進捗をひそかに報告し合い、情報交換するのが楽しみでした。
常軌を逸したゲーオタとはいえ、Oの見た目はわりと格好よく……。バンドマン風といいますか、バンドの後ろの方でキーボードとPCを淡々と操作していそうな感じ?
実際、Oは昔ピアノを習っていたとかでROLANDのシンセサイザーを持っており、たまに生演奏を聴かせてくれました。まあ、それもまたゲームミュージックなんですけどね。
高校卒業後はMacとシンセとシーケンサーと音源モジュールを駆使して作った彼の”架空のゲームの曲”をよく聴かせてもらったものです。MIDIデータをもらうと、ファイルには「コロシアム」とか「エンディング」とか曲名がついていたりして、その度にはっとさせられ、興奮し、こいつすごいなと思いました。
面白かったなぁ……。
あんなに鮮烈な刺激を与えてくれる友人は、きっともうできないでしょう。
そんな高校時代の唯一無二の出会い――。だったら今でもOとは仲がいいのだろうと皆さん思われるかもしれませんが、残念なことにそうではなく。
じつは大学時代に大喧嘩して、絶交しています。
その理由までここに書く気はないのですが(決して僕が悪かったわけではないと今でも思っています)、連絡先なども全て捨て去ったので、現在どこでどうしているのかわかりません。webにもSNSにも情報がありません。
切実に彼の消息を知りたいのに、今となっては知ることができない……。一時の激情に駆られて早まったことをすると、こういう取り返しのつかない事態になるのですね。
でも、今のOを知りたくない気持ちもあるのです。
なぜなら僕の心の中で、Oは今でも十代の姿で「めちゃくちゃ格好いいやつ」のままだから。
喧嘩したときの負の感情は既に風化して、あのクールだけど人懐こい独特の存在感だけが胸に残っています。
……と、こんなに長々と書くつもりはなかったのですが、結論としては何を言いたいのか?
なんでしょうね。
高校時代の友人は大切にしましょう?
喧嘩したら早めに仲直りしましょう?
確かにそれらは間違っていません。むしろ正しすぎるほど正しいかと。
でも、あえて自分の少々主観の入った(でも実感のこもった)考えを正直に言わせてもらうなら、大切な友人を失うのも体験として重要かもしれないなということ。
些細な過ちから、掛け替えのない人間関係を損ない、いつまでも倦んだ傷口を抱えているのも人間だよな、ということ。……そんなところでしょうか。
決して特別なことではないのです。
きっと誰もがこういったどうしようもない失敗を、いくつも胸に抱えているはず。
感情を爆発させて解消することもできず、熾火のように燻らせ続けたり、いつまでも心に秘めて、じくじくと思い返したりするような。
そういうのも、決して良いものではないけれど、いえ、むしろ忌まわしいことだけど「大切な宝物」なのかもしれませんね……。
と、せめて救いのある方法で受け止めておきましょうか。お正月も目の前ですからね。
話は変わりますが、お知らせです。
2019年の春にメディアワークス文庫から新刊が発売されます。
どんな内容かと言いますと……
あ、そろそろ出発しないと電車に間に合わない。じつは今から帰省するのです。
それでは皆様よいお年を!
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