写真のお蔵出し
こんにちは、似鳥航一です。
長らく更新をさぼっていたので(ああ、年々面倒臭がりになっていく……)昨日に引き続きブログエディタを起動。
年末ということで、今日はiCloudから引っ張り出してきた、2018年後半に撮った色んな写真を見繕ってアップしていこうと思います。テーマも統一性も伝えたいことも全くないので、スナックでも食べながら軽い気分でご覧ください。
これは秋に石神井公園の三宝寺池で撮った写真。
モネの絵のような風景を切り取ってみました。水面がまるで影の世界を映し出す鏡のよう……と、それらしいことを言ってみましたが、実際には何も考えずにシャッターボタンを押しただけなのでした。素人の写真って大抵そういうものです。
石神井公園は吉祥寺から30分もあれば行けますし、広大で自然も豊か。気持ちよくリラックスできるので、お散歩にはうってつけですよ。
ところで石神井って読めますか?
「しゃくじい」です。これは日本古来の土着神ミシャグジ様から来ています……という説もあるようです。
石神(しゃくじ)=ミシャグジ。
この辺りは書き出すと長くなるので、ご興味のある方は調べてみてください。
昔々この辺りで井戸を掘っていた際、土の中から石棒がみつかり、それを霊石(石剣)の御神体として祀ったのが、今の石神井神社の前身である石神神社の起こりなのだそうです。
石神井神社の主神は少彦名命(すくなびこなのみこと)。小さな体に大きな知恵を宿し、一寸法師のモデルにもなった有名な神様です。
モネの絵というと、個人的にドビュッシーの曲が頭に浮かびます。
両者とも同時代の印象派と括られることが多く、そしてドビュッシーにも水を題材にした格好いい曲が沢山あるのです。「映像」の「水の反映」や「版画」の「雨の庭」や交響詩「海」など……。
ある意味、かなり日本的な感性の持ち主だったんじゃないかなと思っています。
その日、アタモバ・ヴォ国際学会に出席するため来日したオランダの科学者ヨハンネスは、帝国ホテルの間近で、自然界では通常ありえない青色に発光するホタルの群れが樹木に留まっているのを見た。それから一ヶ月後、彼の妻もまた街路樹が青いホタルで埋め尽くされている場面に遭遇。近くで観察すると樹木とホタルの体はめり込み、半ば融合していた……。それは地球の全てが青い死の光に覆われていく恐るべき前兆。世界は静かに美しく終わりつつあったのだ。
そんな妄想を繰り広げながら、ぼーっと口を開けてイルミネーションを眺めていたこともありました。
皆さんは仏像が好きですか?
ここで即座に「大好き!」と答える方はわりと少ないような気がします。
でも待ってください。仏像は仏の存在を表現するものであり、仏そのものではない。ある意味、うつしよの影のようなものでもあるのですから、カロリーゼロ。よって、いくら好きになっても問題なし。
と、どこかで聞いたような冗談はさておき、これは東京国立博物館で開催された特別展「京都大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に行った時の写真。
唯一撮影許可が出ていた、聖観音菩薩立像(しょうかんのんぼさつりゅうぞう)です。
大報恩寺は鎌倉時代に義空上人が創建した古刹で、千本釈迦堂とも呼ばれます。
本尊は快慶の一番弟子・行快が制作した釈迦如来坐像。
ということで、この展覧会では慶派――快慶、定慶、行快の名品がそろい踏みしていたのでした。
個人的には仏像の造形を見るというよりは立ち合いたい……実物を前にして何かを感じたいという気持ちがあります。
かつてその時代は確かに存在し、そこで生きた人々がいた。彼らはどんな心境でこの像を眺めたのだろう? 何を感じ、どんなことを願い求めたのか? 祈願の後に戻っていく普段の暮らしはどのようなものだったのだろう?
そういった古の方々の視座に立って考えながら眺めれば、見た目の範疇にとどまらない、別の何かが視えてくるかもしれません。
ところで余談になりますが、「菩薩」はお釈迦様が修行中だった頃の姿がモデル。
「如来」は、お釈迦様が悟りを開いた後の姿がモデル。
「観音」は、観世音菩薩の略なので菩薩の一種なのだそうです。ここ、試験に出ません。
もう一つおまけになりますが、スティーリー・ダンに「菩薩(Bodhisattva)」という曲があるので貼っておきます。ドナルド・フェイゲン、好きなんです。
時代と言いますか……僕が生まれるずっと前に作られた曲だからかもしれませんが、とにかくこの菩薩ノリノリです。
僕の今年のひそかな目標として「パリピ」になることがありました。
パリピとはパーティピープルのこと。例えばそれは上流階級の人々が集まる会合で、オーク樽でじっくり時間をかけて作られたシャルドネを片手に、洗練された会話を愉しむジェイ・ギャツビー的な人々……というのは嘘です。
上の写真は角川四賞の時のもの。話を聞かせてくださった皆様ありがとうございました。
こちらは講談社の講堂のテラスからの夜景。
肌を刺す澄んだ夜気。ドミノのように並ぶ窓明かり。眠らない町、音羽というイメージ。皆様いつもお疲れさまです。
●本物のパーティピープルがどういうものか理解できるリンク
これはやがて来る未来の写真です。
一言で言うと、「冬来りなば(以下略)」という感じでしょうか。
想像してみてください。
来年の春のあなたは、どんなあなたでしょう?
こうなったらいいという望みは叶っているでしょうか?
心を悩ませている事柄は、どんな変化を遂げていると思いますか?
気にかかるあの人との関係は、どうなっているでしょう?
答えは全て風の中――
と言いたい気もしますが、それは風の中よりも内側に……つまりあなたの中にあるのです。過去も未来も何もかもが既にあなたの中に存在するのです。
そしてそれは極論すれば何だっていいのです。どんな事態が起ころうと、あなたが自分の頭で考えてそれに対応し、全ての意味を決めていけばいい。自然界にはそもそも意味なんてないのですから。
なんて書くと少し虚無的に感じるかもしれませんが、僕が言いたいことは全くその逆で、だからこそ気楽に行きましょう、ということです。
時はただ流れゆくだけ。過ぎ去っていくだけ。それを心地よい流れだと感じるか、無理に遡ろうとして押し流され続けるか、全てはあなた次第……。
なんだか占い師の言葉のようですが、上記は自分のために書いたもの。来年も気楽に無理せず、風に舞う花弁のように自然体で過ごしたいものです。
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