フォッシルメトロポリス
ばたばたしていて更新が滞っていましたが、いかがお過ごしでしょうか。
似鳥は生きてます。暑さにやられ、もう無理だと日々むせび泣きながら無事に生きています(大げさ)。
しかしまだ7月だというのに今年は本当に暑い。先日は東京・八王子で気温39度――今年の国内最高気温が更新されたそうですし、今からこんな有り様で来月はどうなるのか。文明の利器エアコンに頑張ってもらうしかないですね、馬車馬のように。
と、そんな真夏日が続いている昨今。 食欲がない日の似鳥は豆腐をよく食べてます。もう本当に豆腐ばっかり食べている。
よく冷やした絹ごし豆腐に、いろんなものを載せて食べる冷奴(ひややっこ)。夏はあれを美味しく食べるための季節といっても過言ではない。冬はやっぱり温かい豆腐の方がうれしいですからね。
刻んだねぎとしょうゆのスタンダードな冷奴もいいですが、僕はごま油やオリーブオイルで食べるのが好み。「味変」も可。梅やオクラやしらすや韓国のりなど柔らかい食材を載せても美味しいし、フライドオニオンやグラノーラやポテチなど、硬い食感のものも合う。とくにグラノーラはカロリーを沢山とれるため、うまく調整すれば便利に一食分のエネルギー補給ができるかと。実際の話、僕は暑いと食欲が激減するから効率よくカロリーを摂らないといけないんだ。
食品会社も低カロリーをうたった商品だけではなく、高カロリーのものも出せばいいのにね。なぜならカロリーが倍なら、食べる量は半分で済むということだから。これこそコスパとタイパを重視する若者向けの戦略。それでお値段が据え置きなら大ヒット間違いなしでしょう。(あらぬ方向を眺めながら)
下町和菓子栗丸堂7 日出処の和菓子
先日、「いらっしゃいませ下町和菓子栗丸堂」の7巻が刊行されました。
無事に最終巻を迎えることができ、心からほっとしています。よかった…。皆さん本当にありがとうございました!
というのも、このシリーズの1巻が刊行された頃(2020年3月)、ちょうど世界がコロナ禍に見舞われました。政府がマスクを配付したり、ワクチンを何度も打つことになったり、外出は自粛で仕事はテレワーク。全世界が暗い雰囲気に落ちこんでいく、まさにその途上でした。その後も世界は二度と元に戻らないとしきりに言われていました。
最近(2023年7月)こそ状況は落ちついてきましたが、当時は自分も様々な困難に見舞われて、作品内の明るい雰囲気を描くために非常に努力が必要だったものです。完結できずに途中で書けなくなったらどうしようかと心配もしました。だからこそ予定していたラストに辿り着けたこの7巻の刊行には、喜びもひとしお、今までの道程を回想すると本当に万感の思いなのです。
きっとこの数年間、皆様にも悲喜こもごも、様々なことがあったでしょう。
最後までお付き合いしてくださって心より感謝します。どうもありがとうございました。
和菓子の頂点を決める大会もついに最終日。
栗田と葵は自分たちの未来を賭けて強敵たちと対峙する。
封印から目覚めし奇想の和菓子、常識やぶりの秘術。
そして主催者が明かす大会の真の目的とは…?
それは人の和がおりなす甘味の曼荼羅なのか――
森羅万象、和菓子はすべてを可能にする。
栗丸堂シリーズ最終巻、いつまでも楽しい一時をあなたに。
●KADOKAWAのサイト
https://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g322302000414/
●MW文庫のサイト
https://mwbunko.com/product/kurimarudo/322302000414.html
●わみずさんのウェブサイト
http://www.a-mocco.com/wamizu.html
https://twitter.com/wamizu_0530
また、イラストレーターのわみずさん、毎回素敵なカバーをありがとうございました。
栗丸堂の内容に絶妙に合っていました。おかげで良い世界観が醸成されたと思っています。機会がありましたら、ぜひまた一緒に。
化石大都市
先日、ひさしぶりに東京駅で降りる機会があったので、ぶらぶらと化石を観察してきました。東京駅周辺の地下には大理石があちこちに使われているからです。
そこは化石だらけと言っても過言ではなく、よく見ると至るところに存在する。
下の写真は八重洲地下街の某ラーメン店の入口横にある大理石の柱。サンゴの化石ですね。
大理石というのは石灰岩が熱や圧力などの変成作用で再結晶化したもの。
光沢があって美しく、それゆえに特に不純物の少ない白い大理石は芸術品の材料によく用いられる。古代ギリシャのミロのヴィーナスやサモトラケのニケなどが有名。ただし熱や酸性雨に弱いため、日本では屋外建築物(墓石など)にはあまり使われないようです。
大理石のもとである石灰岩はおもに炭酸カルシウム――これは生物の骨や殻の堆積体であるパターンと、水に含まれる炭酸カルシウムの化学的沈澱で形成されるパターンがあり、前者はいわば化石を圧縮させてできたものだから、砕かれていない明瞭な形の化石が残っていることが多いのは、よくよく考えれば当たり前なのだった。
東京駅の丸の内駅舎から出ると、丸ビルと新丸の内ビルが屹立しているのが目に入る。
そしてそのビル周辺の地下には化石が明瞭に見られる大理石がきわめて多く、古代の幻想に浸りたい方にはうってつけの穴場と言えるでしょう。
上の写真はベレムナイトの化石。ライフルの弾丸のような形状ですが、イカの仲間です。
こんな感じのとぼけた奴らなのだった。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/33/BelemniteDB2.jpg
上の写真は海綿の仲間の化石。カイメンは英語でスポンジと言います。(そのままですが)
海綿動物は世界のあらゆる海に現在も絶賛生息中です。
ここからは化石の花形ということでアンモナイトを一斉に。
アンモナイトは白亜紀に絶滅した、愛らしい外観の生きもの。
貝ではなく、頭足類という軟体動物で、オウムガイの仲間です。(※オウムガイも貝ではない)
ありし日の勇姿を見たい方は以下のページでどうぞ。
以下は余談。
東京はちょっと前までは江戸であり、その江戸は徳川幕府が開かれるまでは、とくになんということもない海辺の湿地帯でした。みやこから遠く離れた、漁師の多い田舎町というところでしょうか。
入植者たちが土地をどんどん埋め立てることで、花のお江戸の体裁が整えられていくわけですが、それでもやっぱり大勢の漁師が人々の精神的支柱として存在していたのですね。
たとえば若い男が集まる魚河岸はファッションの発信地。いなせの語源も江戸の魚河岸で流行していた髪型「鯔背銀杏(いなせいちょう)」からだったりする。また、この時代の架空の英雄、一心太助も実在の魚商人がモデルだそうで、江戸の魚河岸の影響力がうかがえます。
そう、江戸は海辺の街にして水の都。
あちこちに水路が入りこんでいて市中を猪牙船(ちょきぶね)で移動することができた。「鬼滅の刃」でお子さんたちの間でも有名になった吉原にも途中まで舟で行ったりしたようです。
●家康の江戸入府と埋め立て(太田記念美術館note)
https://otakinen-museum.note.jp/n/n92c076b49747
その水の都ともいえる江戸の夢の跡――東京の地下にこんな古の海底の夢が眠っている…。古生代シルル紀から白亜紀にかけて繁栄した、アンモナイトやウミユリの化石が。
そう考えると僕は時空の不思議というものについて考えずにいられない。じっと眺めていると、なんだか江戸時代がつい最近のことのように一瞬錯覚してしまうのでした。
…まあ、東京の大理石は別に江戸で採掘されたものではないんですけどね。
ほとんどが外国からの購入品だそうです。高度経済成長期、日本には潤沢なお金があった。その遠い名残にして夢の化石でもあるのだった。
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