いらっしゃいませ下町和菓子栗丸堂6
嘘だ、もうすぐ今年が終わってしまうなんて…!
ちょっと更新が滞ってましたが、生きてます。
1日に2万回以上もの呼吸をしながら生きてます。似鳥航一です。
ちなみに人の呼吸の回数は一生で約6~7億回らしい。浅く高速で呼吸しがちな人はそれだけ早くゴールに辿り着くのかもしれない。長く生きたいなら呼吸をやめてしまうのも一興かもしれません。これぞ逆説。
と言いつつ、自分はとくに意味もなく呼吸の回数を増やす行動をしてます。具体的には夜に時々ランニングしてみたり。
必ずしも体に良い行為とは言い難くても、灯りの乏しい冬の夜道を一人で走っていると生の実感が味わえて気持ちいい。自分は今、斧を持った殺人鬼に追われているところなのだと妄想しながら走るのも、いとをかし。そんな熱にうかされたような息づかいがこの世界には溢れている。
冷え切った12月の空気中に排出される僕の熱気や、牛のげっぷに含まれる温室効果ガスの一種でもあるメタン――それらが巡り巡って良くも悪くも地球を暖めているんです。たぶんね。
下町和菓子栗丸堂6 琉球幻想の夜
今月、「いらっしゃいませ下町和菓子栗丸堂」の6巻が刊行されました。
担当イラストレーターはわみずさん。いつも素敵なカバーをありがとうございます。
表紙の場所はNetflixの映画「浅草キッド」でも有名な某演芸場の前――かもしれないし、そうでないかもしれません。浅草に行く機会があったら立ち寄ってみると、思わずタップダンスを踊りたくなるかも?
ついに開幕した和菓子日本一を決める大会。
第一試合、京都の藤原薫と中華街の柳才華の対決は劇的な決着を迎えた。
栗田たちの前には入魂の軍隊羊羹が立ち塞り、
林伊豆奈は己の過去を知る金沢からの刺客と対峙する。
そして弓野と上宮には予想外の事態が待ち受けているのだった…。
――ライバルと覇を競う真夏の2DAYS、その閃光のような一日目!
●KADOKAWAのサイト
https://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g322207000328/
●MW文庫のサイト
https://mwbunko.com/product/kurimarudo/322207000328.html
●わみずさんのウェブサイト
http://www.a-mocco.com/wamizu.html
https://twitter.com/wamizu_0530
ちなみに次の7巻が最終巻で、初稿はもう書き上がっていたりします。(両手を腰に当てて胸を張る似鳥)
皆様きっと大満足の抱腹絶倒の内容にしたつもりなので、乞うご期待――なんて来年の話をすると鬼が笑うと言いますね。心の片隅で気にしていて頂ければ幸いです。
さておき、琉球幻想というサブタイトルの通り、今回は沖縄に行ったりします。しかも日帰りの強行軍。作中で登場する特殊な塩羊羹の材料を手に入れるためです。
ただ、「塩羊羹ってなんですか?」と人に時々訊かれたりするので、以下に写真を載せておきます。少しでも参考になれば…。だいぶ前に撮ったものなので季節感も何もなく、申し訳ないですが。
塩羊羹と言っても決して塩味メインの食べ物というわけではなく、そこは普通に甘くて美味しい羊羹です。色はあまり黒くなくて少し水羊羹風なんですが、小豆のたんぱく質系の香ばしい風味がしっかりあって美味しいですよ。
甘味は若干あっさりめ。塩味は後からすうっと効いてきて甘味と混ざり、呑み込んだ後で「ああ、だから塩羊羹なのか」と文字通りすとんと胃の腑に落ちる感じ。この美味感が後を引いて次々食べたくなるんです。
これはもともと長野県で発明されたものらしく。
でも、なぜ長野(信州)か?
上杉謙信の逸話「敵に塩を送る」――実際は別に無償で送りつけたわけではないそうですが、その話が象徴するように、海のない信州では塩はかつて貴重品だった。ゆえに塩の使い方は熟考し、可能な限り創意工夫して――と、そういった環境的要因から生まれてきたものらしいです。では貴重なそれを甘味を引き立てるために使おうか、という考えに至るのが面白い。遠い昔、信州山中の宿場町の出来事でありました。
光ん力
先日、知人と東京駅・丸の内近辺のイルミネーションを見てきました。光ん力で日頃の気疲れもすっかり回復。せっかくなので今からその写真を意味もなく貼っていきます。
ああ、このシャンパンゴールド色のLEDに彩られた数多の街路樹を眺めていると、あの日の凍てつく寒さが甦る…。
まだ外があまり暗くなく、LEDはそんなに目立ってませんが、これくらいの方が好みだという人も多いのだとか。
見上げると夜空をバックに、枝分かれするちょっとした天の川のような。
これはマルチバースでは宇宙船ドルフィン弐号機と呼ばれる物体かもしれない。
これはたぶん安珍と清姫の伝説をモチーフにした物体。この鐘の内側に隠れた安珍を蛇に化けた清姫が蒸し焼きにします。
歩行者天国のはずなのに遙か前方から迫り来る車両。その後、我々は驚くべき光景を見るのだった。
私的な話になりますが、イルミネーションを見ていると僕の頭の片隅を時折よぎるのが、子供の頃に読んだ絵本「マッチ売りの少女」。冬の凍える寒さの中で少女が売り物のマッチに火をつけるたび、一瞬の幸せな幻を垣間見るという内容の童話です。
目の前のイルミネーションも実はそれと同様のものなんだ…と思い込みながら眺めると、より幻想的な気持ちになれますよ。
別にそんな気持ちになりたくないという意見も多そうですが。
さておき、作者のアンデルセンがどんな意図でマッチ売りの少女を書いたのかはともかく、あの童話には自分的に強く興味を引かれる点がありまして。以下は僕の中での仮説なのですが…
それは死に瀕した最後の時、人はどうしても美しいものを求めずにいられないのではないかということ。
求めるのは美しい人の心かもしれないし、その人が思う美しい風景かもしれないし、美しい味のご馳走かもしれない。
ただ、もしもそれが見当たらなかった場合、人は頭の中にそれを作り出す。なんと言いますか、いわゆる世界各地に伝わる臨死体験的な話って、おおむねそれに近い脳内現象だったりするんですよね。
安らぎ、静けさ、誰かとの再会、美しい光景。
人が最後にそれを求めることと、それを提供する機能が人の脳に備わっていることって、とても神秘的な合致に思えます。生きることを放棄した後で発動する最終機能だから、自然選択説や進化心理学などの枠組みではきれいに説明できないことですし。
これぞまさに神の恵みのプログラムではないかと感じる今日この頃なのでした。
0コメント