ヴォヤージュ2021

 こんにちは、似鳥航一です。

 久々で日記の書き方を忘れてしまった…。あれこれと忙しくてブログはずっと放置してたんですよね。僕の場合そういう時の更新は仕事の愚痴になりがちで。まあ、ありがちすぎる程ありがちな話ではあるのですが、この人類総ストレス時代にわざわざそれをするのもどうかと思いまして。別に何かが改善されるわけでもなし、興味深い発見があるわけでもなし。やる前から結果が大体わかることは基本的に避けている今日この頃です。


 この場所にはなるべく現実逃避的かつ快楽主義的な堕落のたわごとだけを綴っていきたいと思っているんですよ。ブログのタイトルも「にとりの愉快な小部屋」ですからね。不愉快なくらい愉快に、遊びの一環として運用していきたい。書くこと即ち遊び也。長く続けていくにはその視点が大切でしょう。意外とこれは様々な物事に当てはまるのかもしれない。


 幸い、最近は身辺もすっかり落ち着いて、週末には遠出する余裕もあったり。

 そんなわけで今日は先日撮ってきた写真を無目的にアップしていきます。ドーナツなど食べながら気楽にご覧ください。


パリピ紀行

 この間、大学時代の知人(パリピ)に声をかけられて鎌倉まで行ってきました。ちょっとした用事があったのです。日焼け止めもちゃんと塗ったから大丈夫だ。一連の用事を済ませた後は美味しい空気と荒涼とした冬の海を楽しみました。微細な光がきらきら弾ける由比ヶ浜の波打ち際で笑いながら鬼ごっこをしたりして――。

「鬼ごっこって誰と?」

「ひとりで」

「ひとりで…? ひとりで鬼ごっこするの?」

 馬鹿やってるなぁ、の一言で片付きますからね。若さ故の過ちということで。他にも海の水を掛け合って遊んだり、インスタ映えするポーズで海に向かってジャンプしたり――はしていませんが、澄んだ陽光と冷えた空気の中で見る海と空はとても綺麗でした。


 この日は雲一つない抜けるような晴天の寒い日で…。それでもサーフィンをしている人がちらほらと。

 光条が綺麗ですが、とくに加工したわけではなく、太陽光の回折現象によるものです。アイフォンのカメラならF値を大きくすると撮れやすい。

 こうして見ていると、この世界の青はなぜ青いのかという素朴な疑問が頭に浮かびます。空はなぜ青い? どうして海は青いのか? どちらも実際には透明で、青く彩色されているわけではないのにね。正解は以下のどれだろうか。


A:血管を細く引き締めているため

B:色素細胞が周囲の環境に合わせている

C:水分子が青以外の光を吸収するから

D:レイリー散乱

E:ミー散乱

F:青いものは青い

 ところで世の中の多くの人が素晴らしい景色だと認識するものには、共通点があると常々思っていまして。

 僕の中でそれは永続性なんですよね。無限の時間というわけではなく、あくまでも人間の歴史を尺度にした程度の永続性。

 その景色は古代から今と同じ形で存在していて、そこに立つと人間も砂一粒も存在として同列に扱われる。言い換えれば自らを大きな時間軸の中に配置して巨視的に思考することを可能にし、じつは自分も砂も存在価値はほぼ同じなのだと実感をもって捉えることができる――。そんな感覚を与えてくれる景色に人気が集まっているように見受けられます。日本人は昔から自然を大いなるものとして敬い、崇拝する傾向がありますからね。その辺り、欧米とは結構違っている。


 この由比ヶ浜の砂浜から百年前の人々も同じように海を見て、たぶん今の自分とほとんど変わらない感情を抱いただろう。いえ、もしかすると千年前も二千年前も同じだったかもしれない。そう思うと、すごく不思議な感覚にとらわれるんですよ。昔の人はそれを諸行無常という言葉で表したかもしれない。あるいは有為転変と言ったかもしれない。世の中のあらゆるものは変わっていくけれど――しかし、変わらない絶対的な真理というのはまさしくそれなんですよね。


 という仏教的な考えに至ったら、近隣に寺社仏閣が沢山あるので足を向けてみるのもいいんじゃないでしょうか。

 ↑

 近くにある極楽寺。

 ここは真言律宗、忍性(にんしょう)という人が開いたお寺だそうです。6月にはあじさいが咲き誇る名所らしいのですが、もちろん今の時期は何も咲いていない。拝観時間が終わる間際だったから休日なのに人もいません。そんな状況で、無性にわくわくするのはなぜなのか? 思えば放課後、皆が帰宅して誰もいなくなった学校の校舎とか昔から好きだった。虚飾を全てはぎとれば世界の真の姿はこれなのだ、とか思っていたのですが――

 あれは中二病ではなく只の事実だったことに今頃気がついた…(陰謀論に目覚めた人の顔で)

 上の写真は「星の井」――星月夜の井戸とも呼ばれる井戸です。ふた閉まってますが。

 奈良時代の僧侶の行基さんが諸国を行脚した際、この井戸の中に昼間なのに星の形を見たそうで、井戸水をくみ出すと底から光る石が出てきた。それはどうも虚空蔵菩薩の化身の一つらしい――という出来事からこの名が冠せられ、近くに虚空蔵堂が建てられたのだそうです。

 個人的にはなぜ虚空蔵菩薩の化身が井戸の底にいたのかが気になります。

 ↑

 虚空蔵堂。上記の虚空蔵菩薩が本尊で、鎌倉時代に源頼朝もこれを敬っていたのだとか。境内が結構狭いので石段をのぼって参拝したら、すぐに下りてくる感じ。アクセスしやすいから賽銭泥棒を防ぐのも大変そうです。実際、賽銭泥棒への対策に苦慮していると掲示されていました。心の痛む話ですが、防犯カメラを設置しても採算が取れるかどうか難しいところなのでしょう。

 となると、やはりYouTubeの無料ライブ配信サービスを使うのが現実的でしょうか。あれは一応ランニングコスト0で運用できます。でも有り難みが薄れてしまうかな…。

 上の写真は、成就院の108段の階段をのぼった上から見た由比ヶ浜。人が苦心して作った寺社仏閣の遙か先に、人の営為では作り出せないオレンジ色の砂浜と海が広がる。どちらが欠けても魅力が薄れる、興趣に富んだ景色です。

 成就院の本尊は不動明王で、境内には聖徳太子の1300忌のミニチュア八角堂なども置かれていたりする。他にもユニークな龍神の手水舎や可愛い蛙の像(なでかえるというらしい)等があり、なかなか面白かったです。

 そして再び出発地点に戻ってきて、ここは夕暮れの海岸。波長の短い青い光が散乱し、茜色は暗く空を染めている。遊んでいた人々の姿もめっきり少なくなりました。駆け足でお寺巡りをしてきたせいか不思議と心に染みる光景です。

 古の人々はこの光景を見て何を思ったのだろうか。盛者必衰、生々流転。補陀落渡海した僧侶たちの気持ちが今はなんとなく分かる気がします。この海の先に涅槃が…。きらきらしい写真満載で書いていたのに、そんな不穏な締め括り方はないだろうと思いつつ。


補陀落渡海――wikipedia

 補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた、自発的な捨身を行って民衆を先導する捨身行の形態である。

グッバイ2021年


 さて今年はもう更新しないから、もう少しだけ何か書こうかな…。このタイミングなので、簡単に一年の総括でも。


 2021年とは何だったのか?

 それはやはり前年と同様、新型コロナウイルス感染症の影響を抜きには語れないでしょう。僕ら一般人の非日常的日常生活もそうだし、医療関係者にとっては目の回るような年だったんじゃないだろうか。国としても激動の一年だったのではないかと。

 コロナ禍の真っ只中、7月に東京オリンピックを敢行して(無観客開催)、その後まもなく8月頃には一日の感染者数が連日最多を更新。あの頃はほぼ感染爆発に近い状態でしたよね。東京だけでも一日の感染者数が普通に5000人超えていましたし。日本はこの先どうなるのかと僕も不安でした。


 ところがその後、国がワクチンを大量に確保して迅速に接種させていくと、それに応じて感染者数も減少。このエントリを書いている12月の東京の感染者数は一日30人とか40人とかそれくらいです。一日5000人が40人って…。まさに激減。こと日本国内に限って言うなら、ほぼ収束に近い状況と言っていいでしょう。何せ今年はコミケも再開しますからね笑。そういうわけで医療従事者の優秀さに改めて感じ入ったのでした。

 また、ワクチン接種体制を整備した菅首相もさすが――と思っていたら、色々あって夏の終わりには辞意表明。そして現在は岸田内閣が日本の舵を取っています。冷静に省みると菅首相はかなり結果を出していたと思うのですが…。


 何はともあれ、感染爆発からの迅速な国民ワクチン2回接種と、ほぼ収束に近い感染者数の激減。そして首相の交代――日本という国の範疇で捉えると、そんなひと言ふた言にまとめられるでしょう。

 もちろん新型コロナウイルスは海外では現在も猛威を振るっていますから(日本は鎖国していないし、今後もしないので)、終息は当面ありえない。完全な終息があるとしたら全世界から根絶された時ということになるのだろうけど、ウイルスは次々と変異するものですからね…。どんな落とし所に持っていくのか。

 ともかく今の状況(国内の感染状況は落ち着いていても海外はその限りではない)はまだまだ続きます。僕らは真面目で几帳面で同調圧力が強い民族だから、その間ずっとマスクを付けて生活するのだろうな。


 ただ、最近インフルエンサーとして人気のひろゆきさん辺りが「マスクって、なんか意味あるんですか?」みたいに発言すれば、一斉に外しそうな気もします。いずれは野心的な動画配信者がその手の主張で人々の耳目を集めようとするかもしれませんね。マスク不必要論みたいな曲を作ってユーチューブにアップしたり?

 そのとき喜んで賛同するか、異を唱えるか、純粋に面白がるのかは僕たち次第。いずれにしても、しわ寄せで苦しむ人が少なくなるような選択を心がけたいところです。

にとりの愉快な小部屋  -似鳥航一ブログ-

小説家・似鳥航一の公式ウェブサイトです。

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