栗丸堂4巻と平安京の検非違使

 こんにちは、似鳥航一です。

 お盆休みもあっという間に終わってしまいましたが、骨休めできましたか?

 東京では四度目の緊急事態宣言が発令中だったこともあり、似鳥はずっと家で惰眠を貪っていました。時折弾かれたように起きてファンレターの返事を書いたり(来月までに全員分が届くはず。お待たせして申し訳ない)、研究のために昔steamで買って放置していた海外のインディーゲームをプレイしたりしつつ。

 その中で思った以上に楽しめたのが「Return of the Obra Dinn」、オブラディン号の帰還というゲーム。知ってる方には今更でしょうが、興味深くユニークな内容でした。そして結構怖かった。謎解きが難しいことも相まって何度も途中でモノクロームの悪夢にうなされて――。

 だがそれもまた愉し。たまらなく恐ろしかったのに瞬く間に何も思い出せなくなっていく悪夢から覚めた後の束の間の感覚は気持ちいいものです。夢は脳の情報処理の副産物。大脳皮質にねぎらいの言葉をかけたくなる。

 さておき夏になると無性にホラー作品に触れたくなるのは、やはり日照時間が長く、その分だけセロトニンの分泌が増えて気が大きくなるからなのでしょうか。憂鬱な気分のときに更に不安感を味わいたい人というのも少ないだろうし、そう考えるとホラー作品は観たいか観たくないかで人の神経伝達物質の分泌状態をはかる、手軽なバロメータでもあるのかもしれませんね。


新刊のお知らせ

「いらっしゃいませ下町和菓子栗丸堂」の4巻が9月22日に刊行されます。

 今回のサブタイトルは「平安京の和菓子の検非違使」。

 一体どんな話なのだろう?

 字面からは想像がつきにくい気もしますが、物語の本筋をぐいぐい進めています。いつもの東京浅草オレンジ通りから幕が上がり、今回は入谷方面へと足を伸ばし、やがて栗田たちは奇妙な出来事に導かれて京の都へ。また、2巻の外伝エピソードの続きに繋がる展開もあったりして、自分としては盛り沢山な内容にしたつもり。


 ●KADOKAWAのサイト

 https://www.kadokawa.co.jp/product/322105000046/

 発売日が近づいたらまた詳しい内容をご紹介するので、お楽しみに!


写真などあれこれ


 とくに意味はないのですが、先日東京駅で降りる機会があったので写真を撮ってきました。それをぺたぺたと無目的に掲載。

 緊急事態宣言下の閑散とした夜景スポット――丸の内駅舎周辺です。

 人が少ないので、なにか現実の東京とは思えない過疎化したヴァーチャルパークのようです。

 本来なら東京2020オリンピックのために訪れた外国人観光客が、この夜景の中でうっとりするところだったのでしょうけどね…。現実には無観客開催。そして多種多様な波紋を広げて終了しました。なんともはや。

 開始前にブラックなものが色々と可視化されすぎたこともあって、個人的にオリンピックで最も印象に残っているのはサンドウィッチマン富澤さんの「炎上の炎が聖火台に~」発言だったりします。あれは面白かった。アドリブでそのボケを出せるのは尊敬に値する。おそらくは有能なツッコミ役がうまく処理してくれるという信頼感があるからこその発言で、そんな相方に恵まれたらきっと仕事も楽しいでしょうね…(遠い目)


 さておき、「炎上」という言葉が地上波で流れ――つまりはネットスラングではなく誰もが普通に理解できる言葉となった現代社会は果たして望ましい状況なのか、逆なのか?

 その辺の好悪はともかく、今後もこの傾向が加速していくのは間違いのないところでしょう。良くも悪くも炎上監視社会として先鋭化していくはず。なぜならスマートフォンを捨てることはもはや誰にもできないから…。子供から高齢者まで誰もがスマホを持ち、感じたことをSNSで即座に誰にでも自由に投げかけられるようになった時点で、炎上とその監視が常態化した現状への移行は免れなかったのだと思います。


 ちょっとオタク的な話をすると、監視施設とそれによる監視システムの内在化を語ったM・フーコーも、未来の監視社会を小説「1984」に書いたオーウェルも、今の世界のありようは想像もできなかっただろう。古典の視座に立って思考してみると今の事態は相当に斬新なのですよ。一般人が一般人をSNSで広く浅く互いに監視し、誰かに照準が合わされた時点で自分の観測範囲外の対象を一斉に攻撃する。そのことで小火も大規模な炎上に早変わりする。実際には炎上していなくても「炎上」に仕立て上げることができる。こういう不定形で不規則な監視社会というのは普通の想像力では思いつけない気がします。

 しかも今はポスト真実とフェイクニュースの時代なわけで、事実や真相とは無関係に、感情――つまり集団の気分に左右されてアクションが始まる。影響力のある人がターゲットを定めればそれだけでよく、どこにでも遠征して自分とは必ずしも関係のない者を空気に寄り添って断罪する。なぜならそれが善行だと当人たちは確信しているから。

 ……未来だなぁとつくづく思います。現在なんですけどね。


 もちろん社会に悪影響を及ぼす輩に待ったをかける自浄作用そのものは必要だと思いますが、その行為自体が目的化してしまう人も多数いるわけで。なんというかこう、批判するために批判することを批判する人は批判するべきだ的な…。

 まあ、たった一つ確かなことがあるとするならば(どこかで聴いたようなメロディで)、スマートフォンやSNSアプリを市井の人々に提供したGAFAM(巨大IT企業群)は、お金を儲けるためなら大衆に何を行ってもいいと腹の底では考えているのだろうな、と。


 ちなみに令和3年における現在流行の「知性」もまた、「いかにGAFAMの有能な召使たり得るか」とほぼ同義になっている感がある。

 どういう意味か? それもまた炎上と関連していて、つまるところコスパのいい流行りの知性のあり方は「ネットで効果的にアクセスを稼ぐ集客能力」――つまりは「広告表示能力」で測られがちだということです。

 例えば有名どころだととユーチューバー。最近は芸能人やスポーツ選手など様々な方が参入していますよね。

 成功しているユーチューバーが儲かるのは、それだけの沢山の広告を表示しているから。ネットで稼ぐ=広告プログラムに沿って効果的に活動することなんですよ。もちろんスーパーチャット等の例外もありますけど。

 自分のユーチューブチャンネルに人を集めるのには(倫理を持たない人なら)、炎上が最も手っ取り早い。自分が破滅するほどの炎上ではなく、「消火可能なレベルで少し燃やす」――このさじ加減がポイントで、つまりは炎上のコントロールスキルが稼ぐ力の見せ所。適度に炎上させて人を集め、うまく処理してその場をしのぐ。程よく収まったら再び火種をちらつかせる――。わかりやすすぎてうんざりしますが、新自由主義的な価値観を至上のものとしたとき、ソーシャル有名人のお仕事戦略は必然的にこうなるのでしょう。

 彼らはわざと世間の常識とは全く逆の刺激的発言をして、人を怒らせる戦略をとる。怒りが頂点に達したらポーズで謝ればいいだけだと考えていて、炎上→謝罪→復帰のロードマップを戦略に組み込んでいる場合もある。そして、そのことがわかっていても人は自分の大事なものを侮辱されたら反応せずにいられない。だから炎上集客を行う者は今後も後を絶たないし、炎上監視社会も続かざるを得ないという結論になる――。


 って、ああ…。なんだか書いていて気が滅入ってきました。とくに構想もなく思いつくままに書いていくと時折こうなるからよくない…。

 しかし本当に、どうすれば僕たちはもっと風通しよく生きていくことができるのだろうか?

 今という時代を生きる限り、それは無理な相談なのか。あるいはスマホを封印するだけで案外簡単に勝ち取れるものなのか。でもスマホって人に連絡するのにも、仕事でも使うしなぁ…。


 あ、閃いた。

 スマホ所持者には猫を飼うことを義務づければいいんですよ。

 一人一匹ずつ猫を飼い、その猫にスマホを装備させる。すると猫の機嫌のいい時しかスマホを使えない。猫の機嫌を取るうちに己をふと省みて、不毛な行為はもう終わりにしようと賢人の瞬間が訪れる。これぞネコニルバーナ。そのとき人は炎上、集客、批判、断罪、承認欲求、自己顕示欲、その他諸々、あらゆるものから自由になれる。

 もちろんスマホを猫に支配されることで対人関係に支障は出るでしょう。しかし「まあ、猫のせいなら仕方ないね」のひと言で許される――人間とはそういうものです。お、なんだなんだ? これで厄介な問題の大半が解決するじゃないか。

 まあ僕は子供の頃から猫アレルギーで、猫好きなのに猫に触れられないのですが…。


面白い曲

 子供から大人まで万人向け――ヒゲダンは今の日本のポップシーンでそんな存在になったと個人的に思っていて。

 普段ボカロ系しか聴かない少年でも、演歌しか聴かない高齢者でも、とくに抵抗なく普通に受け入れるだろうという安心感を漂わせている。よく知らない人とカラオケに行く時もPretenderを歌っておけば何とかなりそうですし。

 でもコード進行がさりげなく複雑だったりして技巧的な曲が多かったりもするんですよね。

 とくにこのCry Babyはその面が顕著で、初めて聴いたときはサビの転調で「面白い」と声が出てしまった。というわけでSpotifyでよく聴いてます。


 興味深いのはこの曲、東京リベンジャーズというヤンキーアニメの主題歌になっているそうなのですよね。不勉強ながら僕はまだ観たことがなく、詳しい内容を知らないのですが、検索してビジュアルを調べると改造学ラン(?)みたいなものを着た不良がいっぱいいたりして、なんだか凄い。

 それにこの洗練された転調の曲がタイアップされ、今の10代が両方セットで夢中になっていることを考えると、Z世代のセンスは優れているなぁと素直に感じます。センスというのは突き詰めれば広義の組み合わせ能力ですが、このセットを受け入れられない世代は確実に存在するんですよ。2000年以降に生まれた人たち(最年長だと今21歳)をちょっと眩しく思う今日この頃なのでした。

にとりの愉快な小部屋  -似鳥航一ブログ-

小説家・似鳥航一の公式ウェブサイトです。

0コメント

  • 1000 / 1000