いらっしゃいませ下町和菓子栗丸堂3 鳳凰堂の紫の上
こんにちは、似鳥航一です。
春の陽気と物憂い花粉に彩られた3月。長かった首都圏の緊急事態宣言も先日解除されました。長らく欲求を抑えていた方々もこれで心置きなくシン・エヴァを観に行けることでしょう――と書きつつも僕は待ちきれずに既に観てきました。
内容、よかったです。ただ、学生時代からずっと追ってきたものだから鑑賞後の喪失感もまた凄い。最近は胸に穴が開いたような巨大な寂寥を持て余す日々です。それも含めてあの結末でよかったと思っています。
いらっしゃいませ下町和菓子栗丸堂3 鳳凰堂の紫の上
先日、「いらっしゃいませ 下町和菓子栗丸堂」の3巻の見本誌を編集部から頂きました。
メディアワークス文庫より今月の3月25日に発売です。
イラストを描いてくださったのは、わみずさん。
仄かな雪が舞う元日の浅草寺の境内を華やかながらも上品な色彩で表現してくれました。
左から葵の父親の義和、母親の紫、白いケープコート姿の葵、そして栗田です。この参拝を済ませた後、色んな意味で面白い出来事が起こりますので、お楽しみに。
●メディアワークス文庫の公式サイト
https://mwbunko.com/product/322012000359.html
●試し読み
●わみずさんの公式サイト
http://www.a-mocco.com/wamizu.html
●わみずさんのpixiv
Essay near the pillow
以下は雑談です。
新刊のサブタイトルに紫の上という言葉が入っているので、今回は紫式部の源氏物語に関する話を――。
と最初は思ったのですが、やはり枕草子の清少納言のことにします。取り巻く人間模様がドラマティックで面白いから。
さて、古の偉人は昨今ゲーム業界、とくにソーシャルゲーム界隈などで、ほぼフリー素材のように使われている印象がある。ぱっと思い出す限りでも、戦国武将や画家や文豪や歌人や茶人や申楽師など。彼ら偉人は文脈から切り離され、ビジュアルや性別などを変えられて、本当に自由に改変されて運用されています。そこまで変えていいのかなと誰も言わないのは、日本がきっと何事にも寛容な懐の深い国だからでしょう。稀に遺族の許可を取っているのか心配になる近代のキャラクターも見かけますが、会社組織に法務部が存在しないはずないですし、きっと入念な協議の結果、訴訟を起こされるほどの倫理的問題はないと判断しているのだと思われます。
さておき、その古の文人のカテゴリで清少納言を登場させるとしたら、どんなキャラクターになるだろうか?
大抵の場合、輝くように明るく才気煥発な人物として出す気がします。
「春ってあけぼのよ!」の影響もあるでしょうし…。(これは特定の世代の方には有名らしく、僕の学生時代の古典の授業で教師が楽しそうに著書を引用していたのを今でも覚えています。僕も含めて生徒は若干きょとんとしてましたが)
博学で機知に富み、垢抜けていて明るく前向き――それが世間の多くの方が持つ清少納言像でしょう。
でもそれは本当に実像か?
当時の世界に行って実物に会ったことのない僕としては、どうしても根拠や証拠が気になるところ。何を元にそう解釈しているのか考えると、やはり枕草子の内容でしょうからね。
この枕草子が物語なら、作者の人物像とは無関係だと誰もが思う。物語の内容が作家の心の鏡なら、殺人事件が多発する小説の作者は殺人鬼の出現を心待ちにする危険人物になりますからね…笑。最低の心の持ち主にも最高に美しい作品を生み出す可能性があるのが創作の醍醐味かと。
しかし枕草子は随筆でありエッセイ。だから虚構ではなく、すべてが真実。筆者の思考と心情がありのままに書き出されている――。
…本当に?
思わずそう疑ってしまうのは、現代人ならごく普通のことでしょう。ウェブやSNSで嘘の日常を書いている方は大勢いますし、人に見せることを意識した時点で、あらゆるものは創作的な一面を持つ。エッセイもしかりで、枕草子にも当然その側面があったと思われます。ではその成り立ちにはどんな背景があったのか?
枕草子が書かれたのは平安時代中期。
当時の貴族の世界は一夫多妻制で、もちろん帝(天皇)にも複数の后がいました。藤原不比等が編み出した天皇と外戚関係になって政治の実権を掌握するシステムが定着し、この時代の有力者は藤原氏ばかりだったのですね。
清少納言は自分より10歳年下の后、藤原定子に女官の一人として仕えます。
定子の父・道隆が関白の職につくことで、定子は帝の大勢いる后の中でも最高位の「中宮」になるのですが、この中宮定子は女官の中でも一際才気に溢れる清少納言を大変頼りにした。きっと人間的な波長も合ったのでしょう。親密さが溢れるエピソードがいくつもあり、単なる上司と部下を超えたものを感じさせます。
とくに有名なのは「言はで思ふぞ」でしょうか。
藤原氏は内輪でつねに権力争いをしており、定子も後ろ盾の父・道隆を失ってからは極めて不遇な状況に置かれます。兄弟が事件を起こして検非違使に連行されたときには、自ら髪を切って尼になったりします。
更にこの時期、清少納言はライバルの藤原道長側に通じているとスパイ容疑をかけられ、定子のいる宮廷を一時期離れる羽目になる。傷心を抱えて故郷の里に帰ってしまうのですね。今でいうと同僚の嫌がらせで疲弊して会社を休職するようなもの。清少納言には繊細で気弱な一面もあったようで、今後について悩み、長い間ひきこもっていたそうです。ちなみに枕草子はこの時期に書き始められました。
――世の中になほいと心憂きものは、人に憎まれむことこそあるべけれ(人に憎まれるのは本当に辛いこと)…と長らく落ち込んで過ごしていた清少納言。ところが、そこに定子から意外なお呼びの文が届く。文といっても綺麗な山吹の花びらで、そこにはただ「言はで思ふぞ」と書かれていた。
口には出さないけれど思っているよ、という意味のことを古今集の歌を引用して表現したのだそうです。なんと雅な。いくらなんでも、そこまでされたら心を動かされないわけにいかないでしょう。こうして清少納言は長い里帰りを終え、定子の待つ御所へと戻るのだった。
●参考:清少納言の再出仕(三省堂辞書ウェブ)
https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/makura27
さて、これらを踏まえると、枕草子をただ明朗快活で気楽なエッセイだと考える人は少ないんじゃないだろうか。
むしろ完全に逆の強固な意図をもって構築されたもの。
圧倒的な苦境の中で書き始められたからこそ、輝きのある素敵な出来事しか採択しなかった。そこには書き手の明確なコンセプトを感じます。不遇に陥った敬愛する中宮定子のため、確かに存在した幸福な日々を形ある証として残しておく。実際には不幸を嘆かずにいられない状況だったからこそ、そういった記述は徹底的に容赦なく排除したのでしょう――定子のために。
草子に書き出された過去は、文字という抽象であるが故に不変で、現実より確かな現実となる。かつてあった、今では夢のようにも感じられる時間は幻ではないと定子に、そして万人に知らしめたい。だからこそ皆に好かれやすい、雅で楽しげな内容にする必要があった。そして実際に後世に残した。
そう解釈すると清少納言という人は表層の態度とは異なる熱情を胸に秘め、やるべきことを精神的豪腕でやり遂げた、つわものに感じられます。
某ゲームに蹴鞠のオーバーヘッドキックで攻撃したりする威勢のいいキャラクターとして登場しているのも何となく分かる気がしますね。(気のせい?)
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