純粋なミルク

 あっという間に12月。外気は冷たく、昼夜の寒暖差は激しく、薄着の人々は軒並み姿を消し、魔導師が着るようなコートが目につく季節となりました。

 そんな冬の日に半袖短パンで外を闊歩する小学生男子を見かけると心が無性にあたたかくなる。そして淡い羨望を覚える。ふわふわのセーターとフリースで武装した今の僕に、彼らのその姿はあまりにも眩しく輝いて見えるのだ。恒温動物は体が大きいほど体温を保持しやすいはずなのに。これが若さというものか。

 今の僕にできるのは冬の街を窓から眺めつつ、The BACKHORNの冬のミルクを聴きながらホットミルクを飲むことだけ。

 ミルクは沸騰しない程度にあたためてシナモンシュガーを振って飲むと幸せな気分になれるよ。


電源のない世界

 先日知人に誘われて古い家を見に行った。

 そこは川崎市にある日本民家園という野外博物館。江戸時代の家をはじめとした日本各地の古民家を(解体して運搬して再び組み立てて)配置してある大規模な展示場です。

 生田緑地という広い都市公園の中にあり、この季節は紅葉を眺めつつ長閑な散策が楽しめる。写真を撮ってきたので眠れない夜の暇つぶしにでも見ていってください。

 園内には文化財建造物が多々あって、屋内に入ることも可能。

 中には当時の生活道具もいろいろと展示されており、電気機器もネットもない時代の暮らしに思いを馳せることができます。youtubeとSNS漬けの現代人が決して耐えることのできないドーパミン不足の生活がそこにはある…笑

 少々寒そうな内部空間ですが、独特の平面性の美学が感じられて味わい深い。

 上の写真は臼(うす)など精米に使う道具。コメは日本人の魂です。コメさえあれば大体満足なのです。

 上の写真は味噌を貯めておく部屋。別名、地獄の味噌蔵です。

 上の写真は旧山下家住宅――飛騨白川郷の合掌造り。

 白川郷は某「ひぐらしのなく頃に」の舞台のモデルで、僕も昔行ったことがある。遺憾ながらバラバラ死体は見つからなかった。

 上は旧広瀬家住宅、もとは山梨県にあった家らしい。低い軒と切妻屋根が印象的です。

 上は茨城県にあった旧太田家住宅。中の土間には馬屋も設けられていて、そこで生まれた子供は神童に育つのかもしれない。

 上は蚕影山祀堂(こかげさんしどう)。養蚕の豊作を祈り、それを司る馬鳴大菩薩像を祀っている。中国の民間信仰の神が仏教に取り入れられ、日本に伝わって広く信仰されたということです。

 上は旧岩澤家住宅。神奈川県の上層農家の家らしく、部屋数も多くて広いですよ。

 上は旧歌舞伎舞台。志摩半島の漁村・船越にあった歌舞伎芝居の舞台なのだそうです。もともとは神社の境内にあったとのことで、一種の神事としての歌舞伎が上演されていたのでしょう。演目が気になるところです。

 トリを飾るのは昔の御不浄の写真。あなたには使う勇気がありますか? うっかり落ちたら、きっと大変なことになってしまうでしょう。


新刊出ました


 11月25日に『佳き結婚相手をお選びください 死がふたりを分かつ前に』が刊行されました。内容は婚姻ミステリにして柳田民俗学的説話にして、異端のシンデレラストーリーです。

 初見は怖そうな雰囲気かもしれませんが、そこまでおどろおどろしい内容でもないのでご安心。ある種の大逆転がありますし、自分としては明るく楽しい要素も精一杯盛り込んだつもり――なのですが、どうなのかな。

 笑えるかどうかには個人差があります。

 何はともあれ、面白いので読んでね。


 ●メディアワークス文庫のサイト

 https://mwbunko.com/product/322303001809.html

 ●kadokawa公式オンラインショップ

 https://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g322303001809/


機能と見た目


 以下は雑文。

 最近のファミレスではネコ顔のロボットに飲食物を運ばせるケースが増えている。ヒトに料理を運ばれるよりネコ顔のロボットに配膳された方が嬉しいお客さんも増えている――。

 そんな決めつけはさておき、ロボットという言葉は人によって意味するものが結構違います。工学系の一分野では自動機械全般を広義のロボットと捉えたりするし、情報系ではプログラム上のオートマトンも一種のロボット。実際、Web上の情報を集めるクローラーだってロボットだし、身近なところに目を向ければ掃除ロボットも医療用ロボットも、すでに今日の社会に溶けこんでいる。

 でもやはり一般の人には「ロボットは人型」という固定観念があるんじゃないだろうか? 血管の修復を行う分子製のナノロボットをロボットと言われても、それはそれ、これはこれという感じでしょう。だからこそ有名なロボット工学者たちがこぞって人間らしいロボットを作るため、人間らしさとはそもそも何かを考えているわけで。


 そして冒頭で例に挙げたファミレスのネコ型配膳ロボットというのは、その認識を秀逸な形で応用したアイデアだと僕は常々思っているのだった。技術開発のアイデアではなく、あくまでも使用法の発想という意味ね。ディズニーランドのファストパスが実際には待っているのにもかかわらず、待っているように感じさせないというような心理的工夫。


 前提として、ネコは人じゃないから人間らしく振る舞う必要はない(ネコは人間を図体のでかいネコだと思っているそうだけど)。

 でも人間と同じ生活空間で暮らす友人みたいな存在であり、さらにいえば異類家族。違いを許容しつつ共存するパートナーなのです。だから多少ぎこちない妙な動きでも、あたたかい目で見てもらえる。ミスや粗相をしても「まあネコだし」で許される。巧いよね。ロボット側がその外見で、人間側に甘い対応を先験的に命じているわけだ。

 われはロボットにしてネコ様なり。

 ゆえに忖度せよ。

 これは安い技術の水平思考といっても過言ではなく――。


 寝言はさておき、上記の考えを裏返すと、ロボットの外見が途轍もなくシリアスで高性能そうなら、その性能は実態よりもずっと高いものが求められるという話になります。

 甘やかしを希求するネコ型ロボットとはまったく逆。シリアスな外観が必要以上に厳しいスペック批評を要求する。あえてハードモードを進む茨の選択ですね。正直それをする意味は皆無なのですが、まあ暇つぶしも兼ねて考えを進めていきましょう。

 その茨のハードモードにふさわしい、今この世界で見た目が一番凄そうなロボットは何だろうか? 

 ぱっと思いつくところだと――(そんなつもりはないのに様々なフィクションに登場する機体が怒濤のように頭をよぎっていく……)

 オーケー、認めよう。これはやはりツァラトウストラ・アプターブリンガーなのだった。

 そう、あれより格好よくて美麗で凄そうなロボットデザインを僕は他に知らない。譲りに譲ってあえて別物を挙げるなら、ゲートシオンMk3リッタージェットかハイレオンか。やはり永野先生のデザインセンスは神なのか、僕は一体何を言っているのだろうか。


 何はともあれ、想像してみてください。もしもファミレスでキッチンからツァラトウストラ・アプターブリンガーの見た目をした配膳ロボットが異音と共にやってきたら、あなたは何を思うだろう? どんな行動に及ぶだろうか?

 今までの話の流れからすると、そのロボットに必要以上に厳しく対応する――という結論になりそうだけれど、ツァラトウストラ・アプターブリンガーくらい凄く凄い外見だと結論はさらに予想外の方向へ飛んでいってしまう。


 僕ならその店に通いつめますね、間違いなく。

 格好いいものは理屈を超越する。男子なら誰もが、ただそれを眺めているだけで恍惚とした素敵な気分に浸れるからなのだった。

にとりの愉快な小部屋  -似鳥航一ブログ-

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