河童の国の素敵な病院 ~どうかkapperと発音してください~
こんにちは、似鳥航一です。
「ブログは作っただけで満足して、また放置ですか?」
と、友人から優しい忠告を頂いたので(ありがとうございます。お礼に僕の友人の従兄の知り合いの祖父が心の中でキスして差し上げます)、張り切って更新したいと思います。
今年の夏はあちこち遊びに出かけたので、実は書くことは色々あるのです。
ただ、書くと言ってもwebには締切等ありませんから「明日でもいいか」、翌日になると「まあ明日でもいいか」、そのまた翌日は「週末でもいいか」……こうしてただ時だけが無情に過ぎゆき――人生って儚いですね。敦盛を舞いたくなります。
というわけで、今から特に誰からも望まれていない愉快な旅行記が始まります。どうかkapperと発音してください。
(1)
それは頭が変になりそうなくらい爽快な青空が広がる、八月の暑い午後のこと――。
少し汗をかいた僕は自宅でシャワーを浴びたばかりでした。
そしてバスタオルで体を拭きながらSpotifyで好みのラップミュージックを聴いていた時、ふいにLINEのメッセージが届いたのです。
「Yo-Yo! DJにと。ひさしぶりにラップバトルをしに来ないか?」
懐かしさに心打たれました。「DJにと」というのは小学生時代の僕の仇名。そしてメッセージの発信者は当時同じクラスだった友人のウテザワだったのです。
諸々の事情で全国を転々としている僕と違い、ウテザワは今も地元に住んでいます。もう何年も連絡を取っていませんでしたが、覚えていてくれたことに嬉しくなり、僕は即座に返信していました。
「どうして突然ラップバトル? 俺が着てるのバスタオル」
w、という物理学の仕事の単位みたいなリプライが飛んできました。個人的には 笑 がスタンダードだと思います。
さておき、続けて彼からこんなメッセージが届きました。
「だって俺氏カッパーだし。おまえのタオルの下、マッパだし」
「なるほど」
よくわかりました。
正しくは、よくわかっていないことがよくわかりましたが、バイブスで通じました。それはある種の高度な暗号化アルゴリズムなのです。嘘です。
ともあれ、他に訊くようなこともありません――僕は手早く身支度をすると、翌日、東京から電車で約六時間かかるウテザワの地元へ出かけたのでした。
(2)
カッパーとは何かご存知ですか?
それは読んで字の通り(でもないけれど)河童のラッパーのことです。
ラップミュージックに傾倒する河童だから、カッパー。
ちなみにカッパーが沢山いる地域のことをカッパーフィールド。その中でデビットカードを持っている河童のことをデビッド・カッパーフィールド……嘘です。
さておき、河童は某県の奥地に今ものどかに住んでまして、実は僕はその隣町の出身。
そして前途ある河童たちの間でここ十数年ほど流行っているのがラップバトル――いわゆるフリースタイルなのです。
(その昔、河童は相撲に目がなかったそうなのですが、TVで頻繁に報道される優しいお相撲さんのニュースに何か思うところがあったのでしょうか。それともシンプルに飽きたのでしょうか。正確な事情はわかりません。でもきっと時代の流れなのでしょう。河童の趣味も基本的には人間と同じ。スマホアプリやVTuberなど、新しいものが好きなのです。実際、アプリに課金しすぎて親に叱られ、尻子玉を抜かれた幼い河童を僕は何人も見ています。「子供は健康的に川でラップしてなさい」というのが当時の親たちの常套句でした)
……そう、僕も小学生時代は隣町までしばしば遠征に出かけ、河童のウテザワとラップバトルをしたものです。
彼のディスには大変な圧があり、僕も負けじと涙目でリリックを棒読みしました。
ふたりをロマンのある言葉で表現すると「ライバル、もしくはアンファンテリブル」。
政治的に正しい言葉づかいで言うと「やや正気を失っているように見受けられる危険な川辺の子供たち」といったところでしょう。
何にせよ、今となっては昔の話です。
夏休みですし、きっと彼はあの頃の気分を再び味わいたくなったに違いありません。
抜けるような青空と眩しい日射し、蝉時雨などに囲まれていると、時々そんな欲求が込みあげることがある。僕も彼の気持ちは何となくわかります。
だから感情の赴くがまま僕は彼のもとへと向かったのでした。
東京駅からタダタカ127号に乗り、その後も幾度か電車を乗りかえて数時間。
やっと彼の故郷の駅に着きました。
よく晴れた夏の日で、外はインダクションヒーターのように暑く、空には数えて眠りたくなるような羊雲が展開しています。空気も魔力を帯びています。
その日は本当にいい天気でした。熱中症で死にかけるくらい……。
そんな素敵な状況下、僕はどこまでも歩きます、脇目も振らずに。
そして人里離れた異郷へと入っていくのでした。
やがて懐かしい彼の地元の橋のたもとまで来ました。古式ゆかしき木造橋です。
余談ですが、浅草の近くにある道具街「かっぱ橋」は合羽橋(レインコートの合羽)で、河童橋ではないのです。マスコットは妖怪の河童なんですけどね。
さておき、橋を渡ったあたりで向こうから彼――カッパーのウテザワが近づいてきて言いました。
「Yo-Yo、DJにと! 変わってないね。ここまで遠かっただろう。疲れてない?」
「別に」
「そっか。じゃあ早速始めようか」
「始めるって何を?」
「決まってる……ラップバトルやー!」
なぜか突然関西弁になったウテザワは、その場で唐突にダンスしながら歌い始めるのでした。
「はるばるご苦労、つば九郎
にとりもスワローも似たような系統
異論があるなら
いろは歌だ
色はにほへど散りぬるを
塩狩峠をリヴィングストン
エビバディカミン、モンダミン」
狂っている……と思いつつも僕はひとまず拍手しました。
リリックはともかく、彼のカッパーとしてのフロウは鈍っていないように感じられたからです。名前のあとに「a.k.a.」を付けても許されます。
京都にお住まいの方なら「お上手どすなぁ。ほんま、天才かもしれませんわ」と褒めてくれるかもしれない腕前でした。
さておき、ウテザワの肖像を掲載する許可がもらえなかったので、代わりにアヴァターの写真を貼っておきます。
平沢進先生の「アヴァター・アローン」を聴きながら眺め、この世界の神秘に思いを馳せるのもよいでしょう。
こちらの写真の方が好ましいかもしれませんね。
アイソモーフィックですが愛情が感じられて。
(3)
さて苦笑を誘うラップバトルの後、僕は懐かしいウテザワの家に招かれました。
最初に説明した気もしますが、彼の住処はカッパーフィールドの中にあります。
Kapper Fields Foreverと歌われた伝説の土地の外れの隅の真ん中の横の斜めの向かいです。
風情のある屋内で、僕らは久しぶりに河童のラップ話に花を咲かせました。かっぱの寿司屋の地下で握られたカッパ巻きを食べながら。
それは本当に楽しい時間でした。
あのアーティストのフロウが新しいとか――
あのミュージシャンのライムのセンスがどうだとか――
そんなことを子供の頃のように屈託なく、純粋な気持ちで思いきり語り合ったのです。
幸福とは、きっとこんな状態のことを指すのでしょう。
とても気分がよくなって、気づけば僕は眠り始めていました。人は幸せだと眠くなるのです。あるいは寝るから幸せなのです。
そして本格的な夢の世界に沈む寸前、不思議な言葉を耳にしました。
薄れゆく僕の意識がとらえたのは彼のこんな呟きでした。
「可哀想に……やっぱり忘れてしまってるんだね。君は何度も何度も、毎年ここに来てるっていうのに。君は何も覚えていない。自分が誰かもわかってない。君の正体は、本当は■■なんだ。子供の頃、君はトラックに轢かれそうになった俺をかばって、撥ね飛ばされて川に落ちた。生死の境を彷徨って、頭が……。それ以来、自分を人間だと思いこむようになったんだ。でも河童には帰巣本能がある。川に戻ってくる鮭みたいに、ふとした拍子に故郷に戻ってきちゃうんだよ。夏のノスタルジアとは違う。それは君にとってDNAに刻まれた動物的本能なんだ……」
遠くでそんな嗚咽まじりの涙声が聞こえた気がしますが、眠さのせいで僕は内容をうまく理解することができませんでした。
どういう意味だったのでしょう?
彼は僕に何を訴えかけていたのでしょう?
でもその後、どんな夢を見たのかははっきり覚えています。
夢の中で、僕は故郷の川にいました。
両岸には鬱蒼と茂る緑。立ちこめる熱気と蝉時雨。
そんな中、僕は川の水底に足の裏をつけて、ぺたぺたと歩いていくのです。
ぺたぺたと、どこまでも、どこまでも――。
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